ひふみんの引退

加藤一二三九段が今日の対局に負けて、今日限り引退と確定した。
何年か前から、加藤九段は将棋の実力ばかりではなくて、その特異なキャラクターが受けて芸能人としてフィーバーしていた。
「ひふみん」という愛称であちこち引っ張りだこで、天才と・・・は紙一重キャラを本人も楽しんでいたように思う。

今日が引退であろうということで記者団が詰めかけていたが、記者会見どころか感想戦も無しで投了したらすぐ立ち上がって家に帰った。
記者団は憤懣やるかたなく、急遽お詫びの会見に出てきた将棋連盟の理事に詰め寄っていたが、どうなるものでもないことは明らかだ。
面白かったな~

加藤九段はカソリックのクリスチャンで、原田九段という大変文才がある棋士が、自分との将棋で朝の10時からの順位戦で深夜になって持将棋という引き分けになって、指し直しまでの30分か1時間の休憩時間に、加藤九段が窓辺に立って涼しげに讃美歌を歌っていた。それを聞いて、息も絶え絶えに疲労していた自分は、これは勝てないと悟ったという話を書いていて、伝説になっている。

その敬虔なクリスチャンが、相手が指した必至(必ず詰む手)の後に退席して20分も帰ってこなかった。
詰んでいるんだから、負けましたと投了する儀式があるだけだ。
解説者は、気持ちの整理のためとか、これまでの長い棋士生活を振り返っているためとか、いろいろ推察していたが、実は加藤九段はタクシーを呼んで、それが到着するのを待っていただけだった。
靴もそろえていて、タクシーが来たのを確認した後すぐ対局室に戻って投了して、サッとタクシーに乗って家に帰った。
感想を聞こうと待機していた記者団は憤懣やるかたなく、将棋連盟の理事が並んでお詫びすることになったということなのだ。

これはいったいどういうことなのか?敬虔なクリスチャンなはずではないか?と多くの日本人は思う。
詰めかけていた記者団に対する配慮が無ければいけないし、そもそも、対戦相手に著しく礼を欠いているのじゃないか?
将棋連盟の一員として、会に迷惑を掛けることをどう考えるのか?普通は、そう思う。
それは、クリスチャンに対する思い違いで、勝手な幻想にすぎない。
加藤九段こそが、真の敬虔なクリスチャンなわけだ。
神と自分の1対1の契約以外に配慮するものは何もなく、はっきり言ってどうでもいい。
これこそが、真のクリスチャンなわけだ。
南アメリカでインカを皆殺しにして、北アメリカでインデアンを大虐殺して、アフリカから奴隷を輸入して、広島長崎に原爆を投下したことと信仰とは全く矛盾しない。
そのことを、我々日本人は理解できなくて、いろいろ忖度した挙句見ないようにしているが、原理原則そのままで、聖書に書いてあるとおりにきっちりしている。
神と個人との関係だけに生きる人がどのようなものなのか?を、軽く、面白く、わかりやすく示してくれたのが、今日の加藤九段であったように思う。
原理原則の人らしくて素敵だった。





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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/06/20 23:55
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