FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

武士になりきり

先日、銀座であごろべえ先生の新刊本の出版記念祝賀会があった。
内輪の仲間の会だったので、とても楽しかった。
終わってからも話が尽きなくて、1時過ぎまで話していた。
それが、全て歯の話ばかりなのだから、あきれてしまう。

その前日に、歌舞伎を観に行った。
地方に住んでいるので、東京に行く機会があるとついでにそのような予定を入れるようにしている。
歌舞伎座よりも国立劇場の方が好きだ。
終わった後、いつも泊まる東銀座のホテルまで歩いて帰るのがいい気分だ。
国立劇場は皇居の半蔵門の辺りにあるので、お堀に沿った遊歩道を歩いて帰る。
半蔵門から桜田門を通って銀座を横切り、晴海通り沿いに歌舞伎座の前を通って帰る。
歩いて30分程度だったから最初は行きも歩いて行ってみたが、緩やかだが上り坂で少し汗ばんだ。
帰りは下り坂なのでとても快適で、普段はあまり歩いてないので最近は行きはバス、帰りは歩きとなった。

昔、日活の活劇や東映のやくざ映画が流行ったころ、劇場から出てくる観客がみんなアキラや健さんのような歩き方をしていたものだ。
歌舞伎が終わって、お堀端を歩いて帰る途中、自分がまるで武士のように歩いていることに気が付いた。
つい気分が武士になっていたわけだ。また、歩いている所が江戸城のお堀端で、石垣があり桜田門が見える。
ランニングしている人が多いのを除くと、まことに舞台は素晴らしい。
上空夕焼衛門守というところだろうか?

そこで、はっと気が付いた。
武士はうつむいていない。堂々として、胸を張り、昂然と頭を起こしている。
まことに立派だ。
歌舞伎もオペラも昔のものはよく似ていて、ここぞという見せ場を作るが、そのかっこよさとか愁嘆場の主人公の気持ちのあり方は全く違う。
オペラではほとんどが自分の恋や欲望や信仰にともなうドラマなわけだが、歌舞伎では自分の役割を果たせるか否かがドラマの主題となっていることがほとんどだ。
西洋個人主義とサムライとは、気持ちのあり方が全く正反対だ。
忠臣蔵などは、全員切腹になることが分かっていて討ち入りしたわけだから。
おそらく、殿中で刀を振り回したお殿様が立派なのかバカ殿なのかは関係なくて、自分自身の在り方の美意識の問題なのだ。
武士が良い姿勢で堂々としているのは、義に生きているからでしょう。
武士道がなければ日露戦争に勝つこともなかっただろうし、特攻隊もなかっただろう。

そんなことを考えながら、老中とか奉行になった気分で歩いていると、まことに良い姿勢で頭も起きている。
肩もこらない。
そうか、頭位とか姿勢に意識が行ってしまうと、ついそれを保とうとするので肩がこるのだ。
そうではなくて、サムライになりきる。つまり、気持ちがサムライになると、自然に頭位も姿勢も良くなり、姿勢維持のための不自然な筋の使い方をしなくなるのではないか?

 控えおろう 上空夕焼衛門守であるぞ

ちょっと、3丁目の夕日とドラえもんを足した感がないでもないが、反省してとぼとぼ歩くのはもう止めよう。
道を歩くときは、武士になりきることにする。
コスプレしたら、もっと効果があるのじゃないかしら・・・

スポンサーサイト
やじろべえ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/02/10 00:00
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。