FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

診査法と検証法2

   診察法

私はちょうど10年前の2006年から、ひょんなことから学会で発表したりするようになったのだけれど、最初に作ったスライドがこれでした。
私が大学を卒業したころはナソロジーの全盛時代でした。
その後、いろいろと問題が出てくるのと並行して、互いに矛盾する咬合論が多数出てきました。
しかし、後になって私の理論は間違いだったと言った講師を知りません。なぜでしょうね?
検証法が無いからですね。ただの理論というか、哲学みたいなものだからですね。
ナソロジー以前の古典咬合学というのは、頭蓋骨や顎骨や歯を計測してそこに統計学的な法則のようなものを見出して治療の指針にしようとしたものですから、真実でした。
だから、咬合論とは言いませんね。

このごろよく思うことは、思想とか主義とかが生まれたことが問題だったのじゃないのかな~ということです。
自由主義とか共産主義とか。唯物論とか。実存主義とか。
これを遡るとフランス革命の「自由・平等・博愛」が起源なのかな?
それまでは信仰とか共同体として自然発生的に慎ましく有ったものが、王様をギロチンにかけて権力と財産を山分けしたうしろめたさからなのか、主義・主張をプロパガンダするようになった。
すると、その大義名分に逆らえなくなって、なにか作りものの疑似的な価値がのさばるようになった。
オペラや能や歌舞伎などと、ミュージカルのような最近のものを比べると明らかにつまらなくなっているのは、どこかに避けようも無く人工的なプロパガンダが混じっているからじゃないかと思う。
それは、もっと遡ると聖書に行きつくのだろうけれど・・・

何か、古典咬合学とナソロジー以降の咬合論に、そのような類似を感じる。
このスライドは、硬組織を修復する歯科の特徴的な治療形態についてなのだけれど、古典咬合学では復元が全てだったのだろうけれども、ナソロジー以降はそこに主義が紛れ込んでしまったのが問題であると感じる。
検証が必要だ。復元だけならそれでいいけれど。何かの価値のようなものを加えた時には、副作用の問題があるはずだ。
スポンサーサイト
エビデンス | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/23 15:08
コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。