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正見を得ることの難しさ

土曜日に、所属している矯正の研究会で発表してきた。
自慢できることではなくて、例会の僕の番を利用して上手くいかない症例を相談してきただけだ。
そこで、僕が悩んでいる患者さんの心身症状に対して、

 それは、先生の咬合への特別な(奇妙な)こだわりから関連付けているだけで、歯科の問題とは思われない。

という意見が出て、それはいつものことながら、みんなそう思っているのです。
僕も、そう言われることは分かっていながら、治療法の検討のために発表したわけです。
なぜ、いつものことながら、このようなリアクションしかないのか?
それについて、その時に気が付いた。

・ 咬合理論というものは、歯医者がそこに依って立つ基準だから宗教の一種だ。安心立命。
・ だからたくさんの教団・宗派に分かれているし、無宗教(咬合なんてどうでもいい)の人もいる。
・ 無宗教も、一つの宗教的立ち位置と言える。無宗教の人が悔い改めることは困難だ。過去の治療結果を教祖では無く、自分一人で取らなくてはならないから。
・ 御釈迦さんは、悟りを得るための八正道という正しい道があると言われた。
・ 八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つ。
・ 最初に「正見」が挙げられている。正しい見方。これが無ければ、後のものは全て意味がないわけだ。
・ 人生がままならないのは執着があるからで、無常の理を知らないからだ。・・・無常という正見を持たないと人生は混乱と苦しみにしか見えない。(邪見)
・ 御釈迦さんは、要するに自分の見方が正見で、他の見方は邪見だと言っている。教祖というものは、いつもそうだ。
・ この御釈迦さんの発見も一つの仮説だが、2500年以上それを覆す仮説が現れないばかりか最近は科学的にも裏付けられてもいるので、暫定真理ということになる。真理は常に暫定。
・ 聖人(天才)の発見した新しい視点が無いと、現象の中に隠れている本質・根本原因は、凡夫には毎日見ていても見えないわけだ。(無明)咬合は現在無明の中にある。

つまり、自分が無明の中にいるという自覚があって、天才に出会ってその見方に感動して、それに帰依するというモチベーションが必要なのです。
経済とかの問題じゃなくて信仰の問題なので、折伏して改宗させることは難しいわけです。
自分から求めたときでないと、ほとんど無理なわけです。

スウィング現象の発見は、ナソロジー、パンキーフィロソフィ、その他のような、単なる仮説や哲学ではなくて歴史に耐えていろいろな方法で証明できる、暫定真理だ。
その発見は、歯科(ヒト)そのものに対する新しい見方なのだ。だから、毎日見ているものが、全く違って見えてくることになる。その、気づき、正見を得ることが必須だ。
それまでは、必ず最初に言ったようなリアクションになる。
その正見無しに診療大系が確立しているので、無明の自覚が無いからだ。
正見が現れないと、邪見に淫していたことに気が付けない。と言うよりも、正見が現れる前は、邪見では無かったのだ。なぜなら、正見はまだ影も形もなく、やがてその地位を追われることになる現時点での見方が正見であるとしか考えられないからだ。

新しい、より魅力のある相手が現れないと、不満だらけでも離婚できないようなものか?
僕のことを言ってるわけでは無くて、周囲の観察による感想です。誤解しないように。

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スウィング | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/05/19 00:00
コメント
No title
ヒトの直立状態はそれ自体が「動的な平衡」であることは自明ですが、驚くことに世の中は片っ端から「静的な平衡」の考察で溢れています。
でも誰かが「自明」に気付き一言発した時から、社会は変わっていくことでしょう。何せ「自明なこと」ですから。
「当たり前」とも言います。

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