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劇的な結末 将棋電王戦ファイナル

「将棋電王戦ファイナル」のファイナル。
2対2の決戦の日。
プロの阿久津主悦八段が負けるだろうと確信していたが、どんな風に負けるのだろうか?
手も足も出ないで負けるのだろうか?それとも?興味は尽きない。
10時から始まって、今日は患者さんもまばらだったので、チラチラ見ていた。
11時前に、患者さんがきれた時に少し長く見ていたら、プログラマーが投了します。と言ったのが聞こえて、びっくり。
持ち時間5時間ずつだから、昼食・夕食休憩も入れて12時間を超えるイベントが、1時間経たずに終わってしまった。
まず考えたのは、残りの時間をどう埋めるのだろう?という心配。
イベント自体が空中分解してしまった。
しかも、そのプログラマーが、局後のインタビューでカメラを避けるように向こうを向いたままで、何やら不穏なことを呟いている。

仕方なく、これまでの電王戦の将棋の解説とかでお茶を濁していたが、第二局でコンピュータのバグを突いた永瀬拓也六段が、コンピュータが致命的な悪手を指した手を「待った」して代わりに指し継ぐことにして、続きがエキシビションマッチとして行われて、何とかかっこつけた。
その将棋が素晴らしい名局で、感動した。めったにあんないい将棋は見ることが出来ない。
しかも、阿久津八段が勝ってもやもやを取り払った。

はずだった。
しかし、最後の記者会見でプログラマーが、最後のあたりは涙を見せながら阿久津八段を詰った。
それは、阿久津八段が採った戦法は、アマがコンピュータに勝ったら100万という企画で指した、コンピュータの弱点を突くハメ手だったからだ。そして、そのハメ手は関係者はみんな知っていたようだ。
アマチュアも、すごい人が沢山いる。よく考えたものだ。
もともと、詰将棋作家はアマの方が上を行っている。天才は、たくさんいるものだ。

前回のコンピュータのバグを突かれたプログラマーは、自分のミスを恥て、それを突いたプロを責めなかった。
ところが、今回のプログラマーは、終始それを非難した。
ニコ生のコメントには、そのプログラマーの雰囲気をぶち壊す発言に対して、なんて心の狭い奴だという非難が山のように書きこまれた。
確かに、日本人の美学と合わない。

しかし、このプログラマーは、プロ棋士に成ろうとして奨励会というプロの養成機関で1級まで行ったが、自分の才能に限界を感じて断念した人だったのだ。
1級などと言うと大したこと無いように感じるだろうが、小学生名人が奨励会に入る時は6級なのだ。
そして、プログラマーとして、コンピュータ棋士を作って挑戦してきた。リベンジマッチだ。
将棋しかしていなかった青年が一からコンピュータプログラムを学んで始めるのだから、その努力たるや大変なものだったろう。
それだけでもすごいが、この棋戦の予選で最強のponanzaを抑えて優勝して、大将としてこの団体戦に出場したのだ。
そのファイナルのファイナルの舞台は自分の修業時代過ごした将棋のメッカ東京の将棋会館になった。
すごい、劇的な舞台だ。
どれほど、ここで真剣勝負で戦いたかったか!
ハメ手に嵌ってしまった無念さ。それは、あまりにも無念だ!
そして、自分が果たせなかったプロ棋士の最高峰のA級八段がそんな卑劣な手を指すのが許せなかった。
分かる。分かるな~

しかし、阿久津八段にしてみれば、団体戦の大将として出場して、不甲斐なく負けるわけにはいかない。
正々堂々というが、勝つことがすべてで存在しているプロのあり方として、甘っちょろい美学に溺れているようではそもそもA級八段には成れなかった。
自分がやるべきことを、きちっとやった。
そもそも、ハメ手に嵌ること自体が弱いからだ。ただ弱いだけで、弁解の余地は無い。
これこそが、プロの美学とも言える。
それに、その手を指しても相手が必ず嵌るわけではなくて、違う手を指すことが沢山ある。
それで当てが外れて、その作戦のために不利に陥って負けてしまったならば恥の上塗りになる。
違う手を指した時に備えて対策を練らなくてはいけない。ただ簡単に、ハメ手で勝ったわけではないのだ。
このような怪しい作戦には、ただ一回の勝ち負けではない、棋士としての評価に致命的なダメージを与える可能性がある。
より追いつめられていたともいえる。
そして、それはエキシビションマッチで勝ったことで、ある程度裏付けられた。


コクがあるイベントだったな~
とんでもないハプニングが起きて関係者は対策に大わらわだったろうが、そこに現れたのは古典的な「悲劇」だった。
もし、このプログラマーがイベントの関係者に配慮してそのまま指し継いだとしたら、つまらない将棋を延々と見るだけだっただろう。
プロを目指した者として、潔い態度で立派だった。
周りの関係者に配慮して、記者会見で自分の気持ちを偽って当たり障りのないことを言ったら、その場は和やかに納まるが、なお意味が無くなるだろう。
大きな問題になっても、他人にどう言われても、意志を通さなければならないときがある。信念が見事だった。
歌舞伎やオペラでは、このような破局こそが見せ場で、愁嘆場とか狂乱の場というハイライトとなっている。
まさに、意地と意地がぶつかる勝負の狂乱の場が、作り物ではない悲劇として見ることが出来た。
素晴らしかった。
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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/11 23:33
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