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永瀬拓矢を讃える  将棋電王戦ファイナル2局目を見て

僕が将棋が趣味だということは、何度か書いた。
将棋電王戦というニコ生で中継する特設棋戦がある。
一昨日、旗日だったので、朝の10時の対局開始前から、番組終了までほぼ12時間、電王戦ファイナルのニコ生の中継を注視していた。
丸1日過ぎた今日になっても興奮が冷めない。それほど感動した。
これまで、コンピュータとプロ棋士の5対5の団体戦が2度あったが、結果は惨憺たるもので、プロ棋士側の2勝7敗1引き分けだった。
10年ほど前?にコンピュータに負けた、チェスの世界チャンピオンのカスパロフが来日して、これは宿命だ。とかいうことを言っていた。
ファイナルと命名したのは、その後もコンピュータプログラムは進化しているはずだから、プロ側の全敗で完全に決着がつく可能性が高いからということなのでしょう?
これは、ものすごく気になる歴史的な棋戦かもしれないということで、1週間前の第一局は土曜日なので、診療が終わった直後から終局までほぼ6時間以上見た。
結果は、プロの斎藤慎太郎5段の完勝だった。
ホッとしたとともに、否が応でも興味が募る。

今回の永瀬拓也6段の将棋を見ていたら、とても嫌な展開で、「やねうら王」というプロを負かした強豪ソフトが、終始コンピュータ有利の評価値を出していて、段々その評価値が上がってきて、+450というかなり有利な評価値になってきた。
しかし、それまで内心では少し人間が不利ではないかと感じていたと思われる解説の棋士たちが、その局面の少し前から一転して、これはどう考えても人間の勝ちではないか?という。
コンピュータと人間の評価が正反対に分かれた。
解説の棋士は、コンピュータの評価値にかなり信頼度があるので、疑心暗鬼になっていた。
そこで、事件が起きた。

永瀬拓也は、当然角が成れるので馬になるところを、角成らずとした!
え?なんで?まあ、どちらでも変わらなくてその駒を取る一手なんだけれど、わざわざなんでこんなばかばかしい棋譜を汚すことをしたんだろうか?と訝っていた。
ところが、コンピュータが王手が掛かっているのにそれを放置して別の手を指してしまって、反則で投了してしまった。
プログラムにバグがあって、それを見つけていた永瀬がそれを突いたのだ。
そのコンピュータプログラムは、角成らずを認識できないらしい。
これで勝つのは卑怯ではないのか?
ところが、永瀬は堂々としていて、それどころかドヤ顔をしている。

立会人や関係者が協議して、永瀬勝ちの裁定になった。
まあ、相手が投了したのだから、それ以外の結論は考えられない。
大板解説会場で、永瀬が話した真相は衝撃的だった。

自分は、コンピュータとの練習将棋で、偶然それを発見した。
しかし、これは勝敗に直結する致命的な欠陥なので、すでに気が付いて直している可能性が半々ぐらいの確率があるように感じていた。
そして、その局面は、ほぼ99%自分の勝ちだと思った。
普通に角を成っても、自分が負けることは無いとしか思えない。
しかし、この局面を避ける手は沢山あったのに、あえてコンピュータがそれを選んできたのは、何か自分の解らない変化があった可能性が1%ほどもあるかもしれない。
その可能性があるならば、その1%を潰すかもしれないことがあるなら、それを選択することは当然だ。

恐るべき勝負師魂としか言いようがない。
この大きなイベントが台無しになる可能性がある。そのソフトの開発者を傷つけてしまう。立会人他関係者に迷惑を掛ける。卑怯な棋士だと言われる恐れがある。それらのすべてよりも、1%あるかないか?の負けの可能性を潰せるならば、それが当然だ!という、全く迷いが見られない表情にはたまげた。
事実、ニコ生のコメントの書き込みには、卑怯だ。そこまでやるか!というものが、かなりの数あった。

前回の、斎藤慎太郎5段も、素晴らしい好青年だった。ほれぼれするような、青年はかくあるべしというお手本のようなすがすがしい男だった。
そして今度の、永瀬拓也6段の信念と覚悟には、しびれた。
それに、もう一つ感じるのは、それほどまでに打ち込んでいるのだけれど、やはり将棋は遊びなんだから徹底的に突っ込んで行って、その先に何があるかを楽しむゆとりだ。

最近特に感じるのは、日本の青年はすごい!ということだ。
特に、倫理的な側面でのすばらしさが光る。それともう一つは、その覚悟だ。
立派だ!あのような天才ばかりじゃなくても、私の周囲にも立派な青年が多いことを感じていた。
僕たちの世代よりも立派な人が多いように感じる。
団塊の世代のあたりは良くなかった。日本の歴史をけがしたように思う。
歌舞伎を見ていると、ほんの一瞬のアクシデントに際して自分の役割の自覚がすごくて、何の迷いも無く命を捨てる。
でも、深刻に思いつめて暮らしていたわけではなく、しゃれを愛するゆとりを備えていて、自己の美学に殉じただけだ。
特攻隊も、そうだったのでしょう。
我々は、敗戦で自信喪失した大人たちとマルクスの唯物論とによって、いじけて?空虚な観念で?尊大に?育ってしまった感がある。
高度成長・安定成長・バブルとかを経て、失われた20年とかに鍛えられて、唯物論を排した謙虚で信念のある、さらにゆとりも備えている筋金入りの若者が巣立ってきた。
良かった。うれしい。

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あれやこれや | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/03/23 02:39
コメント
No title
卑怯云々の話は
全くもって見当違いですよね。
ちゃんと生放送を見て
あの手の真意を理解していたのであれば
そういった感想は抱かないはずです。

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