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爺放談 とても行儀がよい生徒たち

思いがけず、・・・さんから爺放談に応援のコメントをいただいた。
さすがに、このような爺ネタは書く方も恥ずかしいが、応援も恥ずかしいようで、僕しか読めなくなっていた。
蛮勇を奮って、また爺放談。

僕は、1975年に大学を卒業して、すぐ母の歯医者に勤めた。というか家に戻った。
約40年前だ。
その年から学校検診は僕の役割となった。
小中高すべて、約40年間検診した。
虫歯や歯並びの話は以前書いたが、生徒たちの検診を受ける態度のことは書いてなかった。
それは、驚くほど様変わりした。
時代というものは恐ろしいもので、たぶん日本中が同じように変わってきたように思う。
検診を受ける生徒たちの態度という極めて限定されたシチュエーションなだけに、かえって世相の移り変わりが良くわかる。

その印象を一言でいうと、エントロピー増大の法則の反対に作用してきた。
乱雑でうるさい状態から、少しずつ、少しずつ、整頓されてここ10年になると、あまりにも行儀がよくて礼儀正しく、しかもそれがうわべだけではなくて、ほんとに心優しい生徒ばかりになってきた。
自分や同級生の中学高校時代と比べて、なんと立派な生徒たちだ!と思わずにいられない。

尾崎豊の「卒業」がヒットしていた時、1980年代の後半には、実際はもうそんなに荒れていなかった。
あのヒットが終わると、5年も経たずに全部収束してしまったような気がする。
60年安保から、大学紛争→高校→中学と30年ほどかけて低年齢化して行って、バブルの崩壊あたりで収束してしまった。

これは何だったんだろう?と考えると、共産主義・社会主義に対する幻想の崩壊過程としか思えない。
僕も、高校生の時は、少しばかり共産主義者だった。
あの頃の高校生は、ほとんど共産主義にシンパシーを抱いていたのじゃないかと思う。
平等ということに異議を唱えるだけの経験もないし、革命の暴力が若い血を騒がせた。
それは若者だけではなくて、北朝鮮が地上の楽園だという幻想で、僕の生まれた1950年~1980年代まで(後半は人質を取られて仕方なく?)在日朝鮮人が在日朝鮮人帰還事業で北朝鮮に渡って行ったことでも、共産主義幻想がいかに強固だったかが分かる。

共産主義は徐々に旗色が悪くなって、1989年にベルリンの壁が崩壊して、そのあと一気にソ連が平和裏に解体してしまった。
狐につままれたような感じで見ていたが、めぐりめぐって風が吹けば桶屋が儲かる風な因果関係で、礼儀正しい心優しい若者と、南京虐殺・慰安婦・原発事故吉田調書等のプロパガンダに変容してしまった感がある。


酔って眠くなったので、ここらで。








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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/09/23 00:00
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