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浮世絵美人

天海優希は、浮世絵美人だ
舘博は、とても武士のイメージがある。

ぼくのような昔の世代に比べて、最近の子供たちは明らかにあごがほっそりとしたというか、顎角が開いた、比較的長顔貌に変化してきている。
このようなドリコタイプといわれる顔のタイプは、不正咬合で矯正するときにたいへん難しい。
それに、嚥下癖のような幼児期からの不良習癖や、軟性食品による咀嚼不足による退化傾向のようなイメージがあって、よくない傾向であるような気がしていた。
何となく、日本人がひ弱になって来ている傾向と一致した変化なのか?と思っていた。

最近、天海優希のドラマを見ていて、長顔貌のドリコタイプだけれどずいぶんとたくましい女に見えるということに気が付いた。
それに、ハリウッドの女優は、日本に比べて明らかにたくましい女ばかりだし、白人だからドリコタイプが多いだろう。
どうも、矯正が難しくなるので嫌だという気持ちから、偏見を持っていたような気がしている。
そして、浮世絵の美人画は、ほとんど長顔貌のドリコタイプなことに気が付いた。
写楽の役者絵なんかも、明らかにそうだ。
あら?江戸時代はドリコタイプが多かったのかしら?
う~ん?ちがうな。
北斎漫画や富岳百景、広重の東海道五十三次なんかをみると、丸顔ばかりだ。
絵師の好みではなくて、なんか描き分けているような気がする。
少女漫画を見ると、主人公がかっこいいシチュエーションの時は細面であごが尖っているが、ドジをふんだり、ずっこけたり、弱ったりするときには丸顔であごが無くなる。
ふん!と鼻息荒く踏ん張るときには、あごが角ばってガンダム風になっている。
ということは、天平時代とか、源氏物語絵巻のころのような庶民が飢餓の恐怖におびえていただろうころは別として、昔からおおむね我々はドリコタイプを好み、憧れを持っていて、その傾向は変わらないようだ。

世界が白人に支配されてしまったのも、そのような美的感覚が影響してしまったような気もする。
日本人から見て、白人が賢く、美しく見えるということは、中国人や、黒人や、エスキモーや、ニューギニアの原住民から見てもそう見えるのじゃないか?
ドリコになることは美しくなることなのだから、望ましい進化なのでしょう。

あごろべえ先生によれば、ドリコ・ブラキーの違いは背の高さと関連があり、統計学的にも正比例している。
猫の世界では、物理的に上の方にいる猫がそれだけで勝利しているそうで、視線の角度の持つ力は大きい。
そうでなければ、バベルの塔から始まって、塔の高さを競う理由が薄弱になる。
権力者は、常に高い席に座る。
つまり、審美的にも、政治的にも、ドリコの方が有利だ。
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子供のかみ合わせ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/10/11 00:00
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