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咬合論の信者

僕はたまたま、ごく初期のイエスに会って、キリストになる過程を途中からそばにいて共有体験してきたようなものではないかと思えてきたのです。


そのようにしていろいろと思いめぐらしていると、信仰ということを思わざるを得ない。
神仏を信仰するのは、証明されたからではない。
そもそも、科学的に証明されるような程度のものが神仏であるはずがないからだ。
信じて仰ぎ見るしかない。


一方、咬合理論はどうかというと、星の数といっちゃ大げさかもしれないが、講師の数だけあるのは確かだ。
全く正反対の理論が併存していて、新興宗教のようにそれぞれ一定の信者を獲得している。

いま、信者と言ったが、これが咬合論の本質なのではないか。
検証されていない。検証法が示されていない。
そもそも、咬合をいかにして検証すべきかというコンセンサスが得られていない。
科学では無くて、宗教だったのだ。
そこには、権威と、ある程度説得力を持つ教義と、患者さんの一部に奇跡を起こすことができたらそれでいいのだ。

百歩譲って、純粋な理論だとするなら、検証作業があってしかるべきだ。
理論物理学でノーベル賞を獲得した後は、実験してそれを実証している。
はたして、咬合論の実証的検証がなされたのか?
最初は、あごの押し方が下手だと言い、あまり押すなと言い、押しちゃいけないと言って政治的に生き延びている。
定義すらころころ変えて、恬として恥じない。

治療してから、患者さんにどうですか?と聞いてみる以外の検証方法があったのだろうか?
いえ、先生。前よりひどいです。なんて言われたら、赤い紙でカチカチして、終いに心療内科に紹介?
咬合論は数々あって、精密な顆路の計測などがなされていたりするが、最後の検証方法は赤い紙と患者さんの言葉以外の話を聞いたことが無い。

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初めまして | コメント(1) | トラックバック(0) | 2013/09/19 00:00
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