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百家争鳴


もう一つ、困難なことがある。
それは、咬合論が好きな先生の性向だ。

そのような先生は、咬合と聞くと嬉しくてたまらない様子だ。
しかし、いざ話が始まると、最初はなるほどという態度だが、途中からさえぎって薀蓄を言い出す。
謙虚に考えてみようということが無い。
ハリネズミのように理論武装していて、ことごとく反論してくる。
結局、自分の理論以外は排除するのだ。
全身咬合学会という、まさに咬合と全身の学会があるが、たぶんそれぞれが自分の説を発表するだけの場で、学術的な合意が得られることは無いだろう。
なぜ、このようなことになるかと言えば、検証法が定まっていないからだ。
検証しなければ、何でも言える。
しかし、検証法を定めることはとても困難だ。
内科の聴診のように、体のある部分を調べてそれで検証しようとすると、なぜそれが咬合の検証になるかを証明しなければいけない。
すると、その前提になる理論そのものを認めさせなくてはいけない。
しかし、それを認められないから百家争鳴の混乱が起きているのだ。

診査法・検証法を統一しなければいけない。
それは、とても困難だ。
内科の聴診だって、昔検査機器が無い時代に定まったから認められているのだろう。
もしいまそれを診査法として定めようとしたら、エビデンス云々でもめてダメなのじゃないか?
だから、吉田勧侍先生が序文で述べたように、何十年もかけて効いたものが残るという過程を経るのしかないのかもしれない。


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エビデンス | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/08/06 00:00
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