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天塩のアイヌは、そっと山に逃げて行った

天塩には、川口遺跡というアイヌの遺跡がある。
竪穴住居。
いまは一部建物を復元して、遺跡公園になっている。
僕が高校の時に地学の先生に連れられて行って、黒曜石の矢じりや土器を発掘に行って、沢山見つかった。

僕の診療所の前の道路は、天塩川に流入する支流が流れていた。
僕の生まれる前に上流の沼は干拓されて、その支流は埋め立てられてうちの前の道路になっている。
その支流と天塩川に挟まれて半島のような中洲の河口よりが天塩の旧市街地で、河口と反対側の中洲のいちばん奥まったところに遺跡が有る。
おそらく、クマが簡単に侵入出来ないようにそこに集落を作ったのだろう。
川には魚が多く鮭が遡上するし、とても豊かな土地だったに違いない。
明治に、シャモ(和人)が入ってきた。僕のおじいちゃんたち。

天塩のアイヌは、そっと山に逃げて行った。らしい。

とてもかなわないと思ったのだろう。
歴史で不思議に思うのは、ベトナムが強大なアメリカ相手に20年も頑張って勝つことができたのに、なんで大東亜戦争の前は世界中が簡単に植民地になったのか?
抵抗したのは日本ぐらいで、他はほとんど抵抗しないで植民地になったように思う。
船で遠くからやってくるんだから兵士の数はしれていて、数の上では圧倒的に原住民の方が多かったはずなのに。
白人は、あまりにも恐ろしく見えたということなのか?
ベトナムが勝てたのは、ソ連が後押ししたからということだけではないように思う。
ジャングルがゲリラ戦に有利に働いたからか?それとも、情報の有無なのかな?

最初に遭遇した時に、他を見たことが無かったから判断材料が無くて、敵の弱点がまるで分からなかったからということかな~
侵略者は最初から調べているし、相手の幼稚さも御見通しだっただろうしね。


天塩でアイヌと和人が争ったということはないようだ。
しだいに山奥に後退して行って、明け渡したということのようだ。
利尻のアイヌと常に抗争が有ったようだから、無抵抗の平和主義ではなかったはずだ。
僕のおじいちゃんたちも、特に争いを仕掛けたり略奪したわけでは無いだろう。
取るようなものなど無かっただろうから。と考えたけれど、一番大切な縄張りを勝手に侵していたわけだ。
狩猟採集民にとっては、縄張りこそが命だっただろうから。
まさに失楽園だった。
神の超倫理性を知ったヨブが力なく後ずさりして、一切抗弁しなくなった状況に近いのかな?
どうしようもなかったんだろう。


10年以上前に、90歳近くでとても元気だったアイヌの遺跡の近くの農家のおじいちゃんから聞いた話。
お父さんに聞いたという。
おじいちゃんは、昨年100歳を超えて亡くなった。
それで、ちょっとセンチメンタルになった。




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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/01 00:00
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