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電王戦 米長 将棋観戦のひそかな楽しみ

電王戦ファイナル。
将棋が趣味の僕には、あまりにも面白かった。
特に、コンピュータのバグを突くとか、対コンピュータのハメ手とか、びっくりするハプニングに事欠かなかった。
そして、ドラマに満ちていた。
どちらかというと、そこに味わいがあった。
このコンピュータとの対戦というのは、米長が将棋連盟の会長だった時に始まった。
今回の将棋電王戦ファイナルの予告編に今は亡き米長のインタビューがあって、懐かしく見た。
その時にはすでに引退していた米長が、コンピュータと対戦したイベントが始まりだ。
米長というのは、当たり障りのない常識的で平和な状態で生活することのできない人で、混沌とした状態があると、そこに突っ込んで行ってガキ大将のように差配しなければいられない人だった。
そして、そのような誰もが後ずさりするような善悪正邪幸不幸がまじりあっている中でそれを差配して、自分の評価と、さらに実利を得るのが得意中の得意な人物だった。


僕は、道場では4段格。まあ、それなりには指せる。
しかし、ネット将棋では8級だ。ネット将棋のレベルはものすごい。
それは、プロや奨励会の棋士もかなり参加していて、そこから順位が付くのでプロの段位により近いとも言える。
最近のネットの普及は僕にはとてもありがたい。
田舎に住んでいるから、普段は数人の友達としか指せない。
稚内は北海道1~2の将棋の町なのだが、車で1時間の距離はちょっと遠いな~
その上ネットだと、家で一杯やりながら楽しく指すことが出来る。
これは相手に失礼な行為ではない。私は液晶の彼方にいて見えないのだし、よっぱらいすぎて負けたら僕のレーティングが下がって、相手のレーティングが上がる。鴨葱だ。
しかも、もしも朝から晩まで1日中やっていたとしても、月に400円しか料金がかからない。
あまりにも安い楽しみだ。不景気の原因は、案外こんなところにあるのかもしれない。

僕らの世代は、皆将棋を指せる。
子どもの頃、まわり将棋とか、積み将棋とか、はさみ将棋とかの後、本将棋と言ったな~ それを少ししたことがあった。
ファミコンのようなゲームが無かったから、みんな将棋に親しんだ。
高校生になって、僕の友達数人の間で将棋がブームになって結構熱中した。
たぶん、受験からの逃避だったのだと思う。
その頃は、大山、升田というごつい巨人が将棋界の頂上にいた。
大学生の時に、最後の大山升田の名人戦の大判解説を有楽町の朝日新聞社の裏まで見に行ったことがある。
ビルの壁に大盤を吊るして、路上で解説していた。
その後、僕が卒業して家に帰ってきたころから、中原、米長が台頭してきて1時代を築いた。

大山というのは小太りのはげ上がったおじさんで、なんか昔の庄屋さんという感じの人だった。
その将棋はなんとも捉えどころが無く、指しているうちになんかうやむやにされて、よく分からないうちに負けるという感じで、見ていてちっとも面白くない。
プロ好み。

升田というのは、すごかった。
傍若無人の、いかにも勝負師という感じ。言行も派手に奇矯だ。
序盤の戦法が独創的で、意表を突く。
僕は、大学時代熱烈な升田ファンだった。

この時代、他にもたくさん棋士が居たけれど、この2人と比べるとまるで小ぶりだった。
その後しばらくして中原が出てきて、大山時代から中原時代に移り変わった。
中原は若くて、大山とは相当の年齢差があった。
若き太陽と呼ばれていた。
笑顔が素晴らしく、若いのに落ち着いた人格で、将棋の棋風もオーソドックスなので自然流と呼ばれた。

そのライバルで、大山時代の升田に匹敵するのが米長だった。
機知に富んでいて、記者が何か質問したりすると鮮やかに切り返す。
その見事な受け答え、機転の妙が爽やかな印象を与え、さわやか流と呼ばれていた。
その将棋は独特なもので、序盤には特に特徴が無いのだけれど、中終盤になるとそれまでの将棋の流れをチャラにするような訳のわからなくなるような局面に誘導して、ぐちゃぐちゃな中に勝機を見出すという棋風だった。
そのために、泥沼流とも呼ばれた。
正反対の呼称なのが不思議なのだけれども、これが米長という天才の恐ろしさだった。

米長は、何度か中原にタイトル戦で勝ったことはあったが、升田のように常に二番手だった。
大鵬と柏戸のような感じ。あまり昔すぎて、こちらの例えの方が今は分からないかもしれないけれど。
しかし、羽生が名人になる前年の名人戦で、突然4-0で中原を破って50歳という年齢で初めて名人になった。
将棋は、頭の回転が良くて経験が加わった30代がピークで、齢を取れば弱くなる。
50代で初めて名人になるというのは、前例がない。
その時には、中原米長時代はすでに終わっていて、今の会長の谷川時代から羽生時代に移る過程の小春日和のような偶然のチャンスだった。
その後2人は、谷川、羽生の前に浮かび上がることは無かった。

僕ら将棋ファンは、この名人戦がとても不思議だった。
中原が、米長にこのように不甲斐なく負けたことは一度も無く、もうこの2人の間の力関係は確定していたはずだ。
中原も、米長の後に現れた谷川に抜かれて、それが愁眉の急で米長は敵では無かったはずだ。
しかし、後でその真相が分かった。(一般的な説では無く、僕たちの仲間内の話)
数年後に、中原の不倫スキャンダルが発覚した。これは将棋ファンじゃなくても知っているのではないか?
その相手は、米長の弟子の女流プロだった。
その名人戦の時、中原は不倫の泥沼の中だったのだ。
中原は、将棋盤の前に座る前に、すでに負けていた。

しかし、これは決して米長の差し金などと言うようなことでは無かった。
米長は知らなかったはずだ。


スキャンダラスな個人情報を面白おかしく暴いているように思うかもしれないが、これは週刊誌やテレビで騒がれて、多くの人が周知のことだ。
このぐらいのことを書かれるのは、これだけの有名人であれば仕方が無いはずだ。
米長という天才を語るには、中原には気の毒だが避けて通ることは出来ない。
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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/04/17 00:00
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