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原理主義と、空気主義

福島の問題に対する政府や自治体、学校、マスコミ、科学者、医者、学会、委員会などの対応を、武田先生がブログで痛烈に批判していた。
双剣乱舞。寄らば切るぞ~

昨日からは、シリーズで総括するようだ。
深く考えると言っているので、楽しみにしている。
やはり、この問題は僕もとても気になったので、歯科の問題じゃないけどちょっと書いておこう。


おっしゃることは、まことにごもっともだと思います。
戦後の日本の制度疲労が来ているようだ。

ちょっと思いついたが、社会の移り変わりの大きな波は人の寿命のサイクルに拠るのではないか?
繁盛していた商売も、大概定年の頃には斜陽になってしまう。シャッター商店街。歯科界も似てるね。
栄枯盛衰は、人生も社会も国も同じようなサイクルがあるようだ。奢れる者、久しからず。諸行無常。
いいな~ まあ、神が人を作ったのか?気がついて見たら自分が居たのか分からないけれど、儲かったらいいというものじゃないね。
酸いも甘いも噛み分ける?噛み分けるじゃなくて、噛んで味わいつくす。
幸せばかりじゃ眠くなる。適当に、不幸も悲しみも無くちゃ。(大震災などは不適当)

制度疲労が根本原因。賛成。
制度疲労して来た時に、何が不幸を呼び寄せるのだろうか?
頭の構造(これも因縁で出来ている)ではないか?
それぞれの民族の歴史・宗教による、心の育ちと生活習慣が、ドライブをかけるように感じる。


武田先生のおっしゃることは、原理原則、法律に照らせばそのとおりだ。
原理主義?ちょっと違うか?批判して言うのではないけど。

原理主義の反対語は何だろう?世俗主義。現実主義。事なかれ主義?

武田先生の言うことはもっともだけれども、自分がその立場ならどうするかな?と思う。
歯医者は先生だから、やはり自分が学校の先生だったらどうだろうと思う。
僕はもう公務員の定年が過ぎているけれど、年齢の近さからいうと校長先生。院長と似たような立場。
武田先生は、校長が子どもたちを被ばくさせているという。

歯医者の保険診療には療養担当規則と云うのがあって、カルテの書き方から何から細かく決まっている。
そのうえ、なんの権限が有るのか分からないが通達というものが出されて、勝手に方針を変えられる。
決して逆らうことが出来ない。逆らえば、ひどい目にあう。
理不尽で不条理だけれども、もろもろのことを配慮して耐えて暮らすのが大人だ。
妻子に責任がある。

学校の先生も自治体も、みんなこのようにがんじがらめに縛られているはずだ。
通達だらけじゃないか?
放射能が心配だと言っても、個人の権限ではどうすることも出来ないだろう。
ジョンウエインの保安官が片手にライフルを持って、保安官のバッジをつまんで見せて、俺の町では俺が法だ!なんてことは、日本では無理だ。
アメリカ映画はほぼこのパターンだよね。キリスト(救世主)。指導者。力。意志の力こそが全て。
制度疲労して来たアメリカは、力を振り回す。アフガニスタン。イラク。グローバルスタンダード。
力こそ全て。自分がスタンダードだというんだから、ほんとに厚かましいよね。

制度疲労してきた日本では、徳川時代とさほど変わらないように、お上の決めたことには逆らえないようなシステムが出来ている。
我々の思考そのものがことなかれ主義で、ほんの少しずつ後ずさりを繰り返して、気がついたら小作農のようになっている。
陳情に行ってなんとかお願いするか、大岡越前や黄門様が出て来てくれるのを待つしかない。

このように言うと、ジョンウエインの校長先生が必要だと言っているようだが、そういうわけではない。
神仏習合の日本では、山川草木も含めた周囲の環境に自分を合わせる必要がある。
自分の価値観だけじゃなくて、周りの空気に配慮するのが日本人だ。
それなのに、教育者にあるまじき保身しか考えていない輩だというのは、心ない言葉のように思う。
大阪の体罰教師の問題では、現場の先生に理解があった。
不条理な状況で、悩みうろたえながら対応している現場の人には少しトーンダウン出来ないものかな~
現場の人たちは宮澤賢治のように、雨にも負けず・・・になりたいと思いながら、おろおろと歩き回って思い悩んでいるに違いない。
最初は条件反射で、誰もが言われたとおりにするだろう。
だんだん状況が分かってきても、一人でそれを覆すのは並大抵ではない。
夜にはライフルを手に持ってやるぞ~と決心しては、朝になると状況に押しつぶされてしまう。

本当に罪があるのは、政府と官僚・政治家だけではないか。

でも、その責任者たちも空気で決めたかもしれない。
無責任というのはこのようなことかもしれないね。

神という原理があるかないかだろうね。それがあるから、正義がある。
仏教は個人の悟り、内面の問題だから、現実に自分を合わせる。他人にとやかく言わない。
信仰を持っているかどうかではなくて、それぞれの民族の歴史・宗教によって思考形態の大枠が出来てしまう。
そこからはなかなか逃れられないな~
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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/01/22 00:00
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