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統合歯科医療とは 

代替医療・補完医療という言葉は何か一段低い医療というイメージを持ってはいないだろうか?
それは間違っている。
そんな事とは、無関係なのだ。

何故エビデンスが強調されるのかというと、それは医者・患者が共に身を守るためだ。
医者は常に訴えられるリスクを背負っている。裁判では証拠を要求される。
患者にしてみても、医者にほんの思いつきで治療されたらたまったものではない。
ある一定のルールを守ってもらわなくては不安だ。

つまり、エビデンスとは根拠のことでは無くて、お互いに害を被らないためのものだ。
石橋を叩いて渡る。最低限守るべき要件。

だから、多くの有効な方法が切り捨てられる。
代替医療・補完医療とは、そのようなギスギスした関係ではなくて、有効性を求めようというものでもある。

例えば、入れ歯を上手に入れたために腰痛が治ったとしよう。
しかし、これがエビデンスだとなったら、入れ歯を入れた後に腰痛が起きたら訴えられるかもしれない。
これは、歯医者にとっては困る。善意をあだで返される。(もちろん、私はそれに対処して治すことが出来るが)
だから、このようなことは常にプラスアルファでなくてはいけないのだ。

統合歯科医療というものを定義するならば、それは現在法で定められている歯科医療の要件は厳守して、その上でプラスアルファを求めるものだ。
そのプラスアルファ部分は、合意の元で行うもので裁判とかいう要素を含まない医療行為でなければいけない。

それは、歯医者・患者双方にメリットがある。
歯医者にとっては、より良い治療が出来る。より完全な治療とでも言ったらよいか。
患者さんにとっては、現在の定められている安全性は確保されている。

ホメオパシーという代替医療であかちゃんが死んで、ホメオパシーそのものが根拠のないものだという攻撃にさらされている。
ビタミン剤を与えなくてはいけない疾患に、代わりにホメオパシーの薬を与えて死んだからだ。
確かに、成分も検出できないぐらいに希釈されたものを飲んで効果があるようには、普通は思わない。
しかし、医療というものはたとえどれほど統計的に有効だと言われていても100%ということはない。
必ずそこには、信じるという行為が必要なのだ。
1%の人が信じるか、99%の人が信じるかの違いに過ぎない。
なぜなら、自分は一人しかいなくて統計などは気休めに過ぎない。
これが医学と医療の違いだろう。

あかちゃんが死んで責任があるのは、ホメオパシーそのものではない。
ビタミン剤を与えなくては危険だというエビデンスを守らなかったからだ。
ビタミン剤とホメオパシーの薬を併用すればより良かったはずだ。
個人の責任であって、それは注意義務を守らなかったからだ。


統合歯科医療というものは、現在定められているエビデンスは順守する。
元々、エビデンスというものは守らなくてはいけない要件であってそれ以上のものではない。
歯医者の腕は、そんな大雑把なものではない。
統計や本に書いてあることだけで済むんだったら、苦労はしない。
職人のような修練が必要なのだ。
その上で、患者さんの合意のもとにプラスアルファを求めるものでなくてはいけない。
それが医療というもので、医学というものはそのように進歩発展して来た。

現在の医学水準の安全性を担保するならば、プラスアルファを異端尋問すべきではない。
それの裏返しで、新しい我々の知見がどんなに正しいと思えても、それを基準にして現在ある医学を責めるのは間違っている。
親がバカだったと言っているのに等しい。

真景の因果(真の原因と結果)とエビデンス(定められた条件に合致する原因と結果)という2つの基準が存在する。
方法論を変えなければ、この2つが歩み寄ることはないし、歩み寄る必要も無いのではないか。
現在のような訴訟社会では、証拠を示せるものとそれ以外という分類になるのは当たり前のことだ。
また、真の原因がどうであれ最終責任を取ることになる各専門科は尊重されなくてはいけない。

統合歯科医療というものは、安全性を確保しつつ、患者と歯医者、歯医者と医者・歯医者の間の無用な軋轢を招かないための智慧による定義といえる。


皆さん。こんな路線はどうですかね?



なんとタイミングがいいことか。
コメントに引用された武田先生のブログの10月17日。
医者は、たとえ自分がどう思おうと決められたことにしたがって治療しなくてはいけないと書いてあった。
自分の思いつきではなくて、決められた治療法(エビデンス)を行なえということだ。
まったくおっしゃるとおりだ。
制度で定められた公的な資格で治療するからにはそうでなくてはいけない。

だから、統合歯科医療が必要なのだ。
合意の下で行なうプラスアルファとして、定められた治療法に従い、その不足しているところを補完するものとして。
このようなことは特別なことではなく昔から行なわれていたことで、それがなければ進歩もない。
それで十分だ。その積み重ねが新しいエビデンスになる。ローマは1日にしてならず。
その先端にいるということは、目もくらむようなことだ。ありがたい。
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エビデンス | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/10/21 00:00
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