45年間の潜伏生活

先日、渋谷の火炎瓶闘争で警官を焼き殺した犯人が、45年目に逮捕されたというニュースがあった。
ネットのニュースで見ただけだが、その後さっぱり続報が入ってこないのが不思議だ。
僕は新聞もテレビも見ないので、少しは出ているのかもしれないが、左翼のマスコミは都合が悪いのでなるべく触れないようにしているのじゃないかしら。

年齢は67歳。僕の1歳上で、団塊の世代の最後。
僕が大学を卒業して歯科医として働いて、今年で42年目になるが、それより3年も長く潜伏生活をしていたことになる。
歯科大学は6年だが一般の大学は4年だから、在学中に事件を起こして一度も社会人としての生活をしないまま潜伏生活に入ったというわけだ。
その間に法律が変わって、殺人罪に時効は無いという。
警官に石油を掛けて火炎瓶を投げたのは、つい成り行きだったのではないか?なんと、虚しい人生だろうか。
中核派?のアジトに潜伏していたらしい。
外に出て働いて生活することは不可能だったろうから、アジトの中に安置されて仏さんのようにご飯をお供えされて生きていたのだろう。
革命闘争の象徴としての活仏?

僕は、生まれたのが1~2年違っていて、本当に良かった。
あの頃の1~2年は、ものすごく大きかった。
嵐のようなブームだったから、下手すると渦に飲み込まれていたかもしれないと思う。
高校時代に全学連の大騒ぎがあって最後が安田講堂事件で、僕が大学に入った時には学生運動のブームは収まりつつあった。
その後、行き場を失って内部闘争を繰り返して過激派になった。
あれを引き起こしたのは、後から考えたら高校の先生たちの教育の結果だった。
僕が高校2年生の時に、教師は聖職者ではなく労働者だと言って、ストライキをして先生が授業をボイコットしたことがあった。
登校しているのに授業をしない。校長先生が、順番に教室を回って言い訳して歩いたのを覚えている。
授業しないなら休校にすればいいのに、登校させてボイコットするんだから悪質だった。
そんな教育を受けたら、ろくなやつが出来ないのは当たり前だ。

マルクス史観を教え込まれたのだ。
だから、素直で疑わない子は革命にあこがれてしまった。
当時は、ソ連は素晴らしいと宣伝されていた。北朝鮮も中国も朝日新聞が礼賛していた。
原発事故の吉田調書と同じで、鉄のカーテン・竹のカーテンで分からないのをいいことに幻想を植え付けたわけだ。
どこかで読んだことがあるが、「悪霊」のスタヴローギンが、進歩的文化人のおしゃべりなスチェパン氏の無責任な評論家的言説を聞いているうちに過激派になったのと同じことになった。
熱狂が去って、引くに引けないで内ゲバを繰り返しながら資金も底をついて外国勢力と結びついて、やっとのことで生き延びてきたのだろう。
目標としていた国は今や悪の帝国で、転覆させなければいけないと信じた日本が世界一平等な良い国としか思えない。
いまさら、そんな事を言えるはずもなく、ノーベル賞の大作家はしれっとして念仏よろしくお題目を唱えていて恥じない。
そんなどうにもならない連中が、暖かくて老人に心地よい沖縄に集結して、悪の帝国の手先となって最後の闘争ごっこをしている。
かわいそうだな~ 素直で疑うことが無かったおっちょこちょいのせいと、ほんの少しずつしか状況が変化しないからタイミングを逃してしまうわけだが、どこかで悔い改める勇気が無かったせいで、みじめで虚しい人生だったね。


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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/30 16:27
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