診査法と検証法3

   補綴治療の根拠

これが、その翌年に作ったスライドです。
つまり、こういうことですよ。
①いろいろな教祖の、百家争鳴の理論はある。
②自分の臨床経験からの職人的な感覚もある。
③しかし、術後は患者さんに聞いてみる以外の検証方法が皆無だったから、まれにある患者さんが「いえ先生。前よりも悪くなりました。」と言ったならば、いきなり崖っぷちに立たされて他に方法が見当たらず、よりアカデミックなところに頼るしかなく、それ以上にアカデミックなところが無くなったラストリゾートの所では、どうにもならずより上位と思えるお医者さんにお願いするしかなく、結局そこには歯科の素人しかいないから、
④心因性何とかと言いだすしか方法が無かったわけです。
誰が悪いわけでもなく仕方がないわけで、運命だとすれば悲劇としか捉えることが出来ない。

検証しないから、延々とハツカネズミが車を回すようなことになって、解かりかけたころには歯科医師としての寿命も尽きてしまうわけです。
私も、そうでした。そろそろ、退場する時期が近づいています。
真実が知りたいわけです。

しかし、実に難しいことに、薬理学のように分析して動物実験で答えが出せる領域では無いわけです。
咬合は、その動物の種によってまるで異なっているので、動物実験のようなものでエビデンスを示すことが出来ないわけです。
検証する気が無いのではなくて、検証しようとしてもグランドデザインが無いと入り口で躓いてしまって、検証しようも無いわけです。
結局、「主義」を選択するしかなかったのではないでしょうか?

だが、最初は学生から出発して1から教わっている身では、それが単に主義に過ぎないとは考えられないんだよね~
臨床経験が増すほどに、主義と現実の乖離に苦しむことになるんだけれど、その時に教条主義的な人たちが「九条を守れ!戦争法案ハンタ~イ」みたいなことを言い募るから困る。
どこの世界も似ているな~ この、~主義者と言うのが、思考停止してお題目にすがる困った人たちなのだ。
咬合の世界は、教祖と信者と無神論者の集合体としか言いようが無く、宗教→~論~主義に変化したために、不安からより声高になってきたか、虚無的状態に居るかとに分かれてきたのでしょう。

私は10年間一貫して検証法にこだわって来ました。
首と肩の触診と、姿勢の写真による検証です。
それ以外に有効な検証法が見当たらなかったからです。
そこに、フットビューというME機器が加わりました。
このことについて、これから少し述べてみますね。

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エビデンス | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/28 00:00
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