老人は楽しい

節目の年で、同窓会の3連荘の後は、年金が貰えるという案内と介護保険の請求の案内だった。
さすがに、これだけ集中すると、老人になったんだな~と考えることになる。
このブログは、還暦を記念して書きだしたのだけれども、その時にはさほど老人の自覚が無かった。
しかし、世間の評価というか現実はすごくて、子供や若い女性はほとんど来なくなった。
それは徐々には進行していたのだが、秋の日はつるべ落としというのはこれだ!という感じだ。

しかし、また面白いことに、子供や若い女性が来院すると疲れる感じがする。
岩ごろう・くまごろう先生のところのように子供の咬合育成の問題を抱えてくるお母さんは来ないし、僕が心配してあれこれ言ってみても100%無駄だ。経験も少ないから、腕も?
きれいに虫歯を詰めることを競ったら若い先生にかなわないだろうし、何よりも患者さんと話題が合わない。
お客さんが店を選ぶという、自由経済のシステムというのは良く出来ている。
お茶と同じで、歯医者と患者さんの関係も一期一会なのだろう。
患者さんは、歯医者のやることは大体同じで、上手いか下手か?サービスがいいか?職員の雰囲気がいいか?ぐらいを目安にして歯医者選びをするのだろうが、それはおおむね正しいように思う。
自分の診療を振り返ると、子供が小さい時は子供の治療に熱が入ったし歯医者の雰囲気もそうだった。だんだんと推移してきて、今は入れ歯が楽しい。
歯医者の先生は自分の興味がある分野をやればよくて、それが嫌なら患者さんはよそに行けばいいのだ。
万能の名医はいない。その時その時の出会いなのだ。選ぶのは患者さん自身だ。
まるで無責任な態度に思えるかもしれないが、好き勝手なことをやって患者さんが来なくなったら潰れるわけで、おのずから歯止めがあるし、日本は誰もが誠実な社会ではないか。
田舎の小さな町で、町に一軒の歯医者だった時には、その当然のことが無くてずいぶんと苦しかった。

このブログの表題が、うわの空の・・・なのは、僕は昔からボケているという評価で、あんたはいつもうわの空だね。というところから来ている。
歯医者の選択の話ではないが、人間には輝いているときとダメなときがあると、よくそう思う。
昔きれいだったのにまるで面影が無かったり、逆に全く圏外だった子が歳を取るのと反比例してすごく魅力的になっていたりする。

5年前の中学の同窓会で僕はショックを受けた。
学校の廊下の階段に節穴があって、その下に潜り込むとスカートの中を覗くことが出来たらしい。
それは、同窓会に居た同級生はみんなが共有していて、女生徒も知っていてそこを通らないようにしていたらしい。
だから、ホントに覗いていたのは一時だったのだろう。
でも、僕ともう一人、僕の親友とだけが知らなかったことが45年も経って分かったのだ。
僕が先生にチクるから僕だけには内緒だったということはありえない。仲間はずれだったとしか思えない。

今年の同窓会の後、その疑問が解けたような気がした。
節穴から覗くと言っても田代のようなインモラルなことではなくて、仲間でチョットだけ悪い秘密を共有するトムソーヤとハックルベリーフィンのような楽しみであったことは確かだ。
小さい時に病弱でおばあちゃん子だった僕は、そのような仲間との交際が苦手だった。
知らされていなかったのではなくて、忘れたのだろう。
そんなことを忘れるだろうか?と思ったけれど、僕はどう振る舞ったらいいか分からず、仲間に加わらなかっただけなのじゃないか?
苦い思い出なので脳のメモリーにアクセスすることがあまりなく、そのうちメモリーがいっぱいになって知らないうちに消去されてしまったのだろう。
僕は、若い時には、ある瞬間に何か問題が有るかもしれないときに自分がどうすべきなのかが全く分からなかった。
自然な気持ちに従うことが分からず、考え込んでしまった。

しかし、老人は楽だな~
何の悩みも無い。
欲が減り、責任が終わり、すべてが自由だ。悠々自適とは、まさに自分のことだ。
自分がまだ何物でもなく、将来の可能性の幅が無限大であったときをそのまま楽しめるのかどうか?
むしろ、不安や苦痛に感じるのか?
可能性の幅が無くなることで解放されるのか?がっかりするのか?
それが、輝いている時とダメなときを分ける。
「人間喜劇」というか悲劇というか、脳のCPUのプログラムに支配されていてどうすることも出来ない運命だ。
同窓会以降いろいろなことがあって、この前ふいに気が付いた。

 僕は、老人が似合う男だったんだ!

愉快なような、癪なような?
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あれやこれや | コメント(1) | トラックバック(0) | 2015/11/26 00:00
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