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2重ヤジロベエ観音像がほしい

SARIさんという方から、賛同のコメントをいただいた。
どなたか分からないけれど、僕の宗教趣味に付き合ってくれるらしいので、もう一歩あほらしい領域に突入したい。

僕は、あごろべえ先生の2重ヤジロベエモデルに帰依して、もう8年ほどになる。
診療室にその像を飾って、毎朝拝みたい。
でも、素晴らしい図なんだけれど、なんか神々しさが欠けていて、拝むような雰囲気が足りない。
百済観音みたいな感じの、そうだな~あごろべえ先生は文殊菩薩みたいだけれど、やはり、薬師如来が医療の観音としてはふさわしいだろうか?
そのような、美しくて神秘的な 2重ヤジロベエ観音像 を作ってほしいな~
彫刻は大変だから、掛け軸ぐらいで。

僕がそのように思うのは、現代の医療は検査数値を拝んでいるようにしか見えないからなのだ。
いまどき、医者を拝む患者はいない。
検査数値とMRIなどを拝んでいる。あほらしいことだ。

なぜこのようなあほらしいことになったかというと、科学を信仰したからだ。
神の御業を知りたいという欲求が科学を生み出し、終いに神に取って代った。
・・・ように見えるが、やはり神の支配下にある。
聖書には、初めに神の言葉ありき と書いてある。
神は、最初に世界の枠組みを言葉によって決めた。
だから、それを下敷きにした西洋のシステムは全て、極めて巧妙に枠組みを決めて成り立っている。
つまり、彼らが世界の構造を作った。後は、神のようにたまたま口先介入すれば、すべてが思うように回る。
それは、神の方法論を模倣したからだとしか考えられない。
子供の時に聖書を読まされたら、頭のいい子ならその神の世界支配の方法を身に付ける。
当たり前のことで、聖書はそれほど悪巧みに満ち満ちている。
その中の西洋医学の枠組みを、エビデンスという。
言葉で厳密に規定して、それをちょっとでも満たすことが出来なければ、異端宣告をするという仕組みなのだ。

そういうことだから、極めて厳格な、ぼやぼやしていると地獄に落ちるようなシステムが構築されているが、なんか不条理だ。
その大系の中では正しいが、ほとんど実態とパラレルだ。
それは、その神と契約(これこそえこひいき)するかどうかなのだということを西洋人なら理解して患者になっているのだろうが、おてんとうさまが見ているという平等思想の我々は、そこをついスルーしてしまって、後で首をかしげることになるわけだ。

西洋医学が世界を席巻したのは、せいぜい100年ほど前からに過ぎない。
戦争ばかりしていた連中だから、死にそうな患者を治す方法(手術やバイタルのコントロール)に長けていたのだろう。
最後の決め手は、細菌の発見と抗生物質でしょう。
あれは、悪魔の実在の証明だから、彼らには分かりやすかったのでしょう。
そして、それに味を占めて、ウイルス、遺伝子とどんどん細分化していって、病気は目に見えない微細な悪魔や、検査数値(律法)の中にある。
それとも、MRIのような画像(啓示)の中にあることになった。
これは、昔のシャーマンの神のお告げや魔女狩りに近い不条理さだ。全く何も症状が無いのに、検査の結果手術が宣告される。
どんな医者なら、次々と開発される薬の後で発見される副作用が解るのだろう?
全てが薬と手術で解決されるわけがないのだが、それ以外の方法を異端だと言って、火あぶりにする。
この、権力の横暴は、個々の医療人は、逆らったならば必ず潰される。
それは、神が謝らないように、権力の誰も責任を取らないシステムだ。
唯一絶対な神が複数居て、どの神と契約するかが運命を決めるのだが、我々にはそのインフォームドコンセントの基礎が与えられていない。
性悪説を違和感なく受け入れるような悪人ではなくて、お任せしますという性善説に基づいているのが我々だからだろうか?

私が2重ヤジロベエ観音を拝みたいのは、このような悪魔や神のお告げではない、私たちの日常生活からかけ離れていない等身大の病因を示しているからだ。
中医学もそうだが、やはり日常感覚で予防や健康増進が図れる大系が必要だと思う。
部分の集積か、どの神を選択するかではなく、おのずからあるものを拝みたい。

歯科ばかりじゃなく、整体とか、カイロとか、柔整とか、あん摩とか、物療系の本尊として、2重ヤジロベエ観音が拝まれるべきだと思う。


この記事は酒も加わって、かなりヤジロベエが傾いているので、明日の朝読み直したら、きっと頭を抱えるだろうな~
そうは思っても僕は、自分の中のヤジロベエ観音のスウィングには逆らうことが出来ないのだ。




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やじろべえ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2015/06/30 00:00
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