咬合にハマったら、隣の歯医者よりも下手になる!?

さて、新しい本を出していよいよ スウィング理論 を、広く世に問うことが出来た。
あごろべえ先生と僕たち研究会が、咬合論の世界に船出したわけだ。
前途多難だと思う。
序文で、吉田勧侍先生が言っているように、簡単に世に広まるとは思えない。
歯科の未来のために、粘りづよい努力が必要でしょう。

いま、歯科界では咬合というものは、全く人気が無い。
咬合とか、かみ合わせとか言うと、さっとよそに行ってしまう。その話題を避ける。
あ~あ、また怪しげな新興宗教信者が来たぞ、今度は何派にハマってるんだ?という感じ。
これは仕方のないことだ。過去に多くのメジャーな咬合理論があって、全部破たんした。
補綴という、冠を被せたり入れ歯を入れたりする分野の講師が主に布教していたが、その理論の多くは、ほとんどたった一つのアイデアで成り立っていることが多い。
それにハマってそのとおりにやると、隣の歯医者より下手になり患者さんが来なくなる。
僕もハマったことがあるから、よく分かる。
講師が悪いのではなく、検証せずに根拠もなくのどかに信じたのが間抜けなのだ。
自分の患者さんに対して、責任感が足りないのかもしれない。
ある先生が、自分のスタッフを8人も患者として一度にセミナーに連れてきて、治療費を支払って数か月も実証的に検証して、その結果、そのセミナーから去って行ったことがあった。
見事だった。かくあらねばいけない。


特定の理論には独特の形態・配列があって、その良かれと思った形態・配列が、かえって全体の調和を損ねていることがほとんどだ。
技工士さんが作ったものを赤い紙をカチカチやって、そのまま入れた方が上手に入る。
なぜかというと、技工士さんは、毎日毎日何個も何個も冠を作っているのだ。
歯列全体をくまなく見て、調和するように形態を作る。それを朝から晩までやっているのだ。
朝から夜中までと言った方が正しい。技工士は5時で終わったのでは生活できない。
ベテランになると、自然な形態・配列というものが、手に染み込んでいる。
一方、歯医者はというと、冠を作ったりしたことはないし、抜いたり、神経を取ったり、むし歯に詰めたり、矯正とか、多くのことをしなければいけない。
圧倒的に掛けている時間が違うのだ。
歯医者は粗忽に頭で考えるが、技工士さんは全身であるべき形を考えている。
思考の厚みが違う。
下手に歯医者が口を出した方が結果は悪い。
だから、隣のたいして勉強していない歯医者より下手になる。
これはもう、みんな分かっているのだ。こりている。


すでに破たんしていても、後になって講師たちが私の理論は間違っていましたと言ったのを見たことが無い。
ほとんどの咬合理論は検証法を持たないので、信者が入れ換わるだけで、そこそこ通用するのだ。
古い講師は、政治力でそれを維持している。

要するに、理論だけで検証がない、出来ない。検証法すら分からない。どこを調べれば判るのか?
赤い紙と患者の言葉以外に何かあるのか?そんな状態だったのだ。


僕たちは、しっかりとした検証法を持っている。それが、一番大切だ。
何よりも実証的であらねばいけない。
あごろべえ先生は、解剖学的形態がなぜその形なのかを、きちんと説明出来ている。
形の意味を解っているのだ。
だから、理論のせいで不調和な形態になって、隣の歯医者より下手になることも無い。
そして、技工士さんは下請けだから、こんなことダメだと分かっていても、仕方なくメジャーだが空虚な理論の形態におもねざるを得ない。
そんな技工士さんに、自信を持って思ったように作りなさいと励ますことが出来る。

その先は、歯医者が一人で修正できる。
それが歯医者の腕なんでしょう。
そして、いつも同じところを修正する傾向があれば、そこを変更するように指示するだけでよいのだ。


えへん。その~
あごろべえ先生とラッパの先生はそうだと思う。
僕は、努力中です。
理解したということと、出来るということの間にはそうとうの距離があるようだ。
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技工士はアーティスト | コメント(1) | トラックバック(0) | 2013/07/31 00:00
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