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僕は、なぜインプラントを始めたのか?

50歳を過ぎるまで、インプラントは決して行わないと思っていた。
25年もの間そのような姿勢で診療してきたのに、なぜ転向したのか?
この前、大学の同窓の総義歯の大家の先輩と飲んだとき、彼は

 インプラントは原発だ!決して行ってはいけない。後始末に責任をもてるのか?

と言った。

僕も、ずっとそのようなことを考えていた。

転向することになったのは、

 入れ歯も安全ではない。むしろ、現状ではかえって危険なのかもしれない。

ということが、解ったから。

なぜそのような価値観の転換が起こったかというと、口だけを見なくなったからだ。
不適合な入れ歯や、外したままにしていたり、就寝時に洗浄剤に入れておくことで起きる病態を調べて、理解したから。
その上、入れ歯はすぐに合わなくなり、ほとんど賽の河原で石を積んでいるようなものだということに気が付いた。
いくら、メンテナンスを指導しても、患者さんの首に縄を付けて引きずってくることは出来ない。
テレビでは、洗浄剤や安定剤のコマーシャルで、毎日患者さんを洗脳している。
いつのまにか洗脳されて、それらに染まる。
それなら、ある程度持続的な処置をしておくべきではないか?
そう考えたわけだ。

歯がすれ違っているような、とても難しくてどうしても入れ歯が合わない患者さんもいる。
そのような人は、体中ガタガタになっている。
でも、これは難しくて無理だから抜いて総入れ歯にしましょうとは中々言えないものだ。
その方が断然いいことは間違いないのだけれど・・・
インプラントを埋めたなら、なんとかなる。

やはり、有効な手段なのだから頭から否定するのはどうなのか?
たぶん、インプラント完全否定派の人は、歯が無いことの危険性を過小評価している。
そのために健康を害していることに気が付いていない。
確かに寝たきりになったら、インプラントどころか歯さえも無い方が苦痛が少なくていいともいえる。
そのときに配慮することは必要だし、出来るだけ苦痛が無いように手当てするのは尊いことだ。
でも、どうなんだろう?僕がそうなったら?と考えたら・・・
どうしようもなく電線とチューブでベッドに縛り付けられて、ヨブのように神と対峙させられて、自分の人生を振り返ることと家族の心配をすることが全てに近くなってしまうのじゃないだろうか?
そうなる前が人生だと思うけど。
あまり先々と心配しすぎるのはどうなのか?
先を心配すれば、誰もが死刑宣告されている身なんだから。


今月のカレンダー

よし、インプラントを並行に埋入出来たぞ!

術後のレントゲンを見ていい気分。
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入れ歯とのくらし | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/08/29 00:00
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