舌は頭を支えている 3
あごのやじろべえが、頭のバランスを保つ。
このことを伝えるのが、このブログの目的だ。
その下顎のやじろべえがきちんと機能するためには条件がある。
咬んでいないということだ。
え!何を言っているか分からない人が多いのじゃないかな?
安静位空隙と云うものがある。
普段暮らしているときには、上下の歯は咬んでいない。
このことは、たぶんお医者さんも知らない人が多いのじゃないかな?
だって、そんなことに何か意味があるの?そう思うはずだ。
歯医者は、もちろん大学で教わるから知らない人はいない。
でも、その真の意味を知っているのは僕たちの仲間しかいないのではないか?
人間は、二本足で揺れながら立っている。
それをコントロールしているのが、下あごなのだ。
あごのやじろべえが機能するためには、ぶら下がっていて揺れなくてはいけない。
上の歯と咬んでいたら、独立してやじろべえのように揺れることなどできない。
安静位空隙という上下の歯の間にある隙間は、やじろべえが頭の位置を定めるためだったのだ。
7月のカレンダーは七夕にちなんで、天の川とおり姫ひこ星にしました。
でも、北海道は8月7日が七夕。一月遅れ。
天塩の周辺では、6日のイブと7日に子どもたちが七夕ちょうちんを下げて、歌を歌って家々を廻る。
こと~しゃ豊年 七夕祭りだ
ろうそく出せだせよ
出さなきゃかっちゃくぞ
おまけにどんずくぞ
かっちゃく というのは北海道弁だろう。ひっかく という意味。
僕の子どものころは子どもがたくさん居て、近所の子たちが6~7人ずつグループになって、夕方から2~3時間家々を廻った。
大人たちはちょうちんのろうそくを用意して待っていて、歌の後にそれを渡す。
お金の無い子は、缶詰の空き缶に釘で穴をあけてカンテラというものを作る。
昔炭鉱で見るような感じのものだ。かなり前から、相当にこって作る。
昔はちょうちんすら買えない家の方が多かった。
でも、かえってちょうちんよりかっこよくて、そんな子はリーダーシップがあり子どもたちを引率した。
僕はいつも引率されていた。
ホントは僕もカンテラにしたかった。
でも、おじいちゃんが店をやっていて、七夕が近づくと店の天井にちょうちんを一列に並べて売っていた。
ちょうちんを持っていることが、ダサくて仲間はずれになって苦痛だった。
でも、カンテラの子はちょうちんをうらやましかったのだろうね。
当時は街灯が少なくて、真っ暗な夜をろうそくの明かりで歩くのは楽しかった。
あれは子どもたちにとってはけっこうビッグイベントだった。
暗闇が持つ不気味さと、みんなで明かりを灯して歩くわくわく感。
街灯が増えたころからつまらなくなりだして、少子化でお母さんが引率し出してさらにつまらなくなった。
僕の子どもたちの七夕を見ていたから、その辺は比較して分かる。
いつの間にかろうそくがお菓子になり、このごろはちょうちんも持たずに袋だけ持って回るようになってしまった。
結果だけあればいい。まったくつまらなくなってしまった。
どうも、この風習は天塩周辺の町だけのようだ。他の地域にはないようだ。
天塩川の上流で切り出した木材を筏で運び、船で内地に送る。そのために出来た町だった。
北海道の中ではずば抜けて早く開けた町なので、内地のどこかの昔の風習が伝わったものだろう。
富山の方だろうな。歌詞で今年は豊年と言うが、天塩は米の北限が隣町で米が取れないのだから。
このことを伝えるのが、このブログの目的だ。
その下顎のやじろべえがきちんと機能するためには条件がある。
咬んでいないということだ。
え!何を言っているか分からない人が多いのじゃないかな?
安静位空隙と云うものがある。
普段暮らしているときには、上下の歯は咬んでいない。
このことは、たぶんお医者さんも知らない人が多いのじゃないかな?
だって、そんなことに何か意味があるの?そう思うはずだ。
歯医者は、もちろん大学で教わるから知らない人はいない。
でも、その真の意味を知っているのは僕たちの仲間しかいないのではないか?
人間は、二本足で揺れながら立っている。
それをコントロールしているのが、下あごなのだ。
あごのやじろべえが機能するためには、ぶら下がっていて揺れなくてはいけない。
上の歯と咬んでいたら、独立してやじろべえのように揺れることなどできない。
安静位空隙という上下の歯の間にある隙間は、やじろべえが頭の位置を定めるためだったのだ。
7月のカレンダーは七夕にちなんで、天の川とおり姫ひこ星にしました。
でも、北海道は8月7日が七夕。一月遅れ。
天塩の周辺では、6日のイブと7日に子どもたちが七夕ちょうちんを下げて、歌を歌って家々を廻る。
こと~しゃ豊年 七夕祭りだ
ろうそく出せだせよ
出さなきゃかっちゃくぞ
おまけにどんずくぞ
かっちゃく というのは北海道弁だろう。ひっかく という意味。
僕の子どものころは子どもがたくさん居て、近所の子たちが6~7人ずつグループになって、夕方から2~3時間家々を廻った。
大人たちはちょうちんのろうそくを用意して待っていて、歌の後にそれを渡す。
お金の無い子は、缶詰の空き缶に釘で穴をあけてカンテラというものを作る。
昔炭鉱で見るような感じのものだ。かなり前から、相当にこって作る。
昔はちょうちんすら買えない家の方が多かった。
でも、かえってちょうちんよりかっこよくて、そんな子はリーダーシップがあり子どもたちを引率した。
僕はいつも引率されていた。
ホントは僕もカンテラにしたかった。
でも、おじいちゃんが店をやっていて、七夕が近づくと店の天井にちょうちんを一列に並べて売っていた。
ちょうちんを持っていることが、ダサくて仲間はずれになって苦痛だった。
でも、カンテラの子はちょうちんをうらやましかったのだろうね。
当時は街灯が少なくて、真っ暗な夜をろうそくの明かりで歩くのは楽しかった。
あれは子どもたちにとってはけっこうビッグイベントだった。
暗闇が持つ不気味さと、みんなで明かりを灯して歩くわくわく感。
街灯が増えたころからつまらなくなりだして、少子化でお母さんが引率し出してさらにつまらなくなった。
僕の子どもたちの七夕を見ていたから、その辺は比較して分かる。
いつの間にかろうそくがお菓子になり、このごろはちょうちんも持たずに袋だけ持って回るようになってしまった。
結果だけあればいい。まったくつまらなくなってしまった。
どうも、この風習は天塩周辺の町だけのようだ。他の地域にはないようだ。
天塩川の上流で切り出した木材を筏で運び、船で内地に送る。そのために出来た町だった。
北海道の中ではずば抜けて早く開けた町なので、内地のどこかの昔の風習が伝わったものだろう。
富山の方だろうな。歌詞で今年は豊年と言うが、天塩は米の北限が隣町で米が取れないのだから。
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