気持ちの持ちようと安静位空隙

僕のおじいちゃんはとても姿勢が良くて、総入れ歯も簡単に合ったという話をした。
姿勢が良いから、入れ歯がピタッと合ったのではないか?ということ。
もう、35年も前のことなので旧義歯がどんな状態だったかよく覚えていないが、昔の年寄りは大変慎ましくて壊れたとか失くしたとかのように完全に使用不能にならなければ入れ歯を作り直すようなことはしなかったから、おそらくひどくすり減って低かったはずだ。

子供のころおじいちゃんと食事をすると、食後茶碗にお湯を入れて、食渣でベトベトの総入れ歯を中に入れて箸でかき混ぜてキレイにしてから口に戻し、その茶碗に浮いた食渣を飲み干し、ごちそうさまでしたと手を合わせる。
うわ~気持ち悪くてたまらない。他人の迷惑を考えてよ!
でも、食べ物はすべてありがたく感謝して頂くわけで、魚を食べたら骨がすべてピカピカに光るほどきれいに食べる。それは見事だ。
入れ歯の内面に残った食渣だって、感謝して絶対に残すことなく頂くわけだ。筋が通っている。立派な心掛けだ。

だから、入れ歯はガタガタで、クシャッとしていたに違いない。
でも、そんな印象が無いのだ。そんな、クシャッとした顔の思い出は無く、しっかりした顔の印象しかない。
普通、クシャッとした総入れ歯を入れていると、うつむいて猫背になり、終いに背中が丸まり腰が曲がる。
おじいちゃんは、そうならなかった。
気持ちの持ちようが立派だったから、いつも頭が起きていて安静位空隙が広く保たれていたのじゃないだろうか?

ここで、かみ合わせが不調でいつもそのことを訴えている人を思い浮かべてみると、つい、いつの間にか噛みしめているか食いしばってしまう人が多い。
欝々としている人、パニックになる人、心配性で先々と心配する人、被害妄想的で攻撃的になる人、いろいろとタイプがあるが、うつむいて噛みしめている傾向がある。
ホントに不調な人は、大概心療内科に通院歴がある。
かみ合わせが悪くてそうなっているのか?そのような心の持ちようのために不調になりやすいのか?
そうなってしまった人に気持ちの持ちようがが大切だと言っても、全く無駄だ。
しかし、子供の時から教育勅語を押し頂き、立派な人間になろうと思い定め、常に胸を張って生きてくると、頭位が上を向き安静位空隙を保持出来て、そのような不調に陥ることなく健康でいられるのかもしれない。

姿勢に気を付けてそれを保つことは難しいが、気持ちの持ちようが変われば自然に姿勢も変わる。
僕は、いつもくよくよと過去を悔やむ傾向があるが、それらを改めて"武士になりきり″で生きていきたい。
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やじろべえ | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/02/28 16:59

おじいちゃんの総入れ歯

モアイ像の頭位は、素晴らしい養生訓だ。
そこからいろいろ想像をめぐらして、ついに武士になりきりにたどり着いた。
僕がモアイ像の頭位を試してみて一番感じたのが、晴れ晴れとした気分になるということだった。
ただ少し頭を起こしただけで、気分が変わる。
反省する時は、自然にうなだれてしまう。
気持ちの持ちようと姿勢は完全に連動している。

僕のおじいちゃんは、もう随分と昔に亡くなっているが、90何歳まで長生きした。
明治生まれで、教育勅語に従って生きたようだ。
それが、ちょっと度が過ぎているというか少しはた迷惑なところもあったが、いつも意欲満々でたいへん立派な人だった。

僕の子供のころのおじいちゃんの一番の思い出は、朝起きるとすぐ便所に行って30分ぐらいこもっていたことだ。
昔だから和式の汲み取り式で、かなりの苦労だったと思う。
何も食べていないわけだから腸が蠕動しないので、さっぱり便意もなく出てこないわけだ。
それを、頑張って無理やり排便する。
なぜそんな苦労をしなければいけないかというと、それから手を洗い顔を洗って体の内も外もきれいにして、神棚の前で柏手を打って1日が始まるからだ。
孫の僕にもそうするようにうるさく言うから大変困った。

そんなだから、しゃんとしたまことに立派な姿勢で、最後まで腰が曲がるようなことは無かった。
こころがけがそうなら、姿勢もそうなる。
日本の武道のあり方と共通したものを感じる。
もう一つは、背が低かった。
皇太子殿下も素晴らしい姿勢をしているけれど、ちょっと背が低いからということもあるような。
イギリスに4年も留学していたから、ノッポばかりの学友の中で頑張ったのじゃないだろうか?
背が低い人で、猫背の姿勢の悪い人はあまり居ないように思う。

おじいちゃんは総入れ歯で、僕がまだ入れ歯が下手だったころに作り直した入れ歯をずーっと使っていた。
当時は、入れ歯は散々苦労してやっと何とかなる状態だったが、おじいちゃんだけはホイと一発で簡単に収まった。
今から考えると、とびっきりの姿勢の良さのおかげじゃないだろうか?
顎堤も立派だった。


やじろべえ | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/02/23 16:52

武士になりきり

先日、銀座であごろべえ先生の新刊本の出版記念祝賀会があった。
内輪の仲間の会だったので、とても楽しかった。
終わってからも話が尽きなくて、1時過ぎまで話していた。
それが、全て歯の話ばかりなのだから、あきれてしまう。

その前日に、歌舞伎を観に行った。
地方に住んでいるので、東京に行く機会があるとついでにそのような予定を入れるようにしている。
歌舞伎座よりも国立劇場の方が好きだ。
終わった後、いつも泊まる東銀座のホテルまで歩いて帰るのがいい気分だ。
国立劇場は皇居の半蔵門の辺りにあるので、お堀に沿った遊歩道を歩いて帰る。
半蔵門から桜田門を通って銀座を横切り、晴海通り沿いに歌舞伎座の前を通って帰る。
歩いて30分程度だったから最初は行きも歩いて行ってみたが、緩やかだが上り坂で少し汗ばんだ。
帰りは下り坂なのでとても快適で、普段はあまり歩いてないので最近は行きはバス、帰りは歩きとなった。

昔、日活の活劇や東映のやくざ映画が流行ったころ、劇場から出てくる観客がみんなアキラや健さんのような歩き方をしていたものだ。
歌舞伎が終わって、お堀端を歩いて帰る途中、自分がまるで武士のように歩いていることに気が付いた。
つい気分が武士になっていたわけだ。また、歩いている所が江戸城のお堀端で、石垣があり桜田門が見える。
ランニングしている人が多いのを除くと、まことに舞台は素晴らしい。
上空夕焼衛門守というところだろうか?

そこで、はっと気が付いた。
武士はうつむいていない。堂々として、胸を張り、昂然と頭を起こしている。
まことに立派だ。
歌舞伎もオペラも昔のものはよく似ていて、ここぞという見せ場を作るが、そのかっこよさとか愁嘆場の主人公の気持ちのあり方は全く違う。
オペラではほとんどが自分の恋や欲望や信仰にともなうドラマなわけだが、歌舞伎では自分の役割を果たせるか否かがドラマの主題となっていることがほとんどだ。
西洋個人主義とサムライとは、気持ちのあり方が全く正反対だ。
忠臣蔵などは、全員切腹になることが分かっていて討ち入りしたわけだから。
おそらく、殿中で刀を振り回したお殿様が立派なのかバカ殿なのかは関係なくて、自分自身の在り方の美意識の問題なのだ。
武士が良い姿勢で堂々としているのは、義に生きているからでしょう。
武士道がなければ日露戦争に勝つこともなかっただろうし、特攻隊もなかっただろう。

そんなことを考えながら、老中とか奉行になった気分で歩いていると、まことに良い姿勢で頭も起きている。
肩もこらない。
そうか、頭位とか姿勢に意識が行ってしまうと、ついそれを保とうとするので肩がこるのだ。
そうではなくて、サムライになりきる。つまり、気持ちがサムライになると、自然に頭位も姿勢も良くなり、姿勢維持のための不自然な筋の使い方をしなくなるのではないか?

 控えおろう 上空夕焼衛門守であるぞ

ちょっと、3丁目の夕日とドラえもんを足した感がないでもないが、反省してとぼとぼ歩くのはもう止めよう。
道を歩くときは、武士になりきることにする。
コスプレしたら、もっと効果があるのじゃないかしら・・・

やじろべえ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/02/10 00:00

肩がこる~

さて、モアイ像の頭位にエア水がめを加えたら、頭が真っ直ぐになり後ろ重心から重心が前に移動して歩きやすくなった。
しかし、肩がこるのだ・゚・(つД`)・゚・
ホンの短い距離しか道を歩くことはしないから、わずかの時間のことなのだが寝るまでこりが取れない日もあった。

やっぱり。たぶん、そんなことじゃないかと思ったとおりだった。
なぜ頭が傾いているか?といえば、あごと頭の複合体のバランスが取れる位置がちょうどその傾きだからだ。
やはり、頭が傾いているのだから、姿勢も悪くなり肩もこっている。
とはいえ、そのあごの位置に対してもっとも合理的な姿勢なのだ。
頭は首や肩の筋肉で固定しているわけではなく、単に首の上でバランスを取っているだけで、バランスが崩れたときに瞬間的にそれを起こす筋肉が働く構造になっていると思われる。
瞬間しか働かず、普段は休んでいるから楽なのだ。
それなのに、傾いたバランスを自分で意識して起こすためには決まった筋が持続して働かなければいけないわけで疲労してしまう。
だから、肩がこるわけだ。

エア水がめは失敗だった。
やはり、ぎっくり腰などの緊急事態に対するもので、日常の養生訓とはならないようだ。
とは言え、頭さえ真っ直ぐになれば重心は必ず真ん中に寄っていくことが確認できた。
それから、よく観察していると、モアイ像の頭位も少し首の付け根に苦しさを感じることがある。
やはり、同じ原理だと思う。頭位の上向き下向きもヤジロベエバランスで定まっている。
上を向けば付け根がこり、下を向けば首の上の方がこる。
それは、洗濯物を上の方に干す作業や、その反対の編み物などを長時間すると、こる位置の違いが分かる。
しかし、こちらについては苦しいと思うほどではなく、得るものの方が多いので、やはりよい養生訓だと思う。
どうも、歳とともに人はうつむいてしまうものなのだ。
あごのやじろべえのバランスの推移ばかりじゃなく、しだいに反省することばかりが積み重なってきて・・・
やじろべえ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/02/05 18:11

エア水がめの頭位とフットビュー

さて、モアイ像の頭位は、素晴らしい養生訓なのだが頭位が完璧になるわけではなので、術後管理としてはいいが 治療効果には疑問が残る。
そこで、エア水がめを追加すると、僕の右に傾いていた頭が起きあがる。
ただ道を歩いているだけの間なら、ちょっとだけ意識することによって頭位を維持することが可能だし、気のせいか足裏の真ん中に重心が定まるのを感じる。
これは、より良いかもしれない。
そこで、フットビューで確かめてみた。

    水がめフットビューモアイ.エア
       エア水がめ    モアイ像の頭位    自然な頭位

あら。確かに、前後的にも左右的にも重心が改善している。
この方がより良い気がする。
どうも、この頃は自分でも重心が良くないし、姿勢も悪いことを自覚している。
くまごろう先生にバイトを採ってもらってDS装置を入れたいと思っているのだが、少しモアイ像の頭位を試してみたい気がしているのだ。


さて、術前のフットビューのデータが、前回と違うことについてことわっておきたい。
患者さんではあまりこのようなことは無いのだが、立つときの足の位置の違いによるものです。
患者さんは、何も意識しないで言われたとおりにそこに立つので、常に重心に対応した立ち方をしていて足の位置は変わらない。
だから、データはいつも一緒だが、仕組みが分かっている僕は自然に無意識に立つことが出来ない。
重心に対応して片足を少し引いた立ち方をしたときには後ろ重心で左右的には真ん中寄りに重心があるが、つい足をそろえて立ってしまった時には、片側に寄った重心になってしまうわけだ。
たまに、患者さんでもそういう人がいるが、それは勘案して診ることにしている。
それじゃあ困るという先生は、足の位置を定めてフットビューを採ればいいが、その場合は一定時間重心の変動を見て安定してきたところでスウィッチを押して記録する必要がある。
ホンの1~2分だが時間がかかるのと、スタッフ任せに出来ないのが欠点だ。
僕のやり方のように患者さんに自然に立ってもらうようにすると、スタッフ任せで一瞬で採れる。
やじろべえ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/01/31 00:00
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