お東先生登場

藤井君の活躍ですっかり将棋狂いになってしまって、将棋のネット中継を見ていると何もする時間が無い。
ちょっと、プロの将棋は持ち時間が長すぎるね。
天才ばかりしかいないプロが、途方もない長い時間を考えて指しているわけだから、弱いアマの僕に理解できるはずもなく、すぐ落ちこぼれていつの間にか居眠りしている。

今度の土日に、ラッパの先生の咀嚼のセミナーがある。
前回は5月だった。僕も参加した。
とても良い組み立てで、みんな引き込まれるように最後まで集中して受講していて、ラッパの先生の講師としての目の覚めるような進歩ぶりに驚いたものだ。
感想を書くと言っていながら、そのままになっていた。

何といっても、受講生にものすごい秀才が現れたことが素晴らしかった。
初めて会う8人の受講者の一人だったので、僕はまだ名前と顔が一致してないのだが、その先生は受講直後から、セミナーで教わった内容を患者さんに実践した赫々たる戦果をメールでみんなに報告してくれるのだ。
まことに見事な実績で、たった2日間セミナーを受講しただけで、これほどできるものか‼と驚嘆した。

僕は、ラッパの先生の研究がほぼ完成したと感じていたので、以前からやっていた自分の修行をそのまま受講者に体験させるという、ほぼ全員が落ちこぼれる修験道のような難行のセミナーじゃなくて、念仏を唱えるように、ラッパ上人の悟りのエッセンスだけを講義するセミナーを進言して開いてもらったセミナーなので、いきなりものすごい秀才が出現したことにとても喜んでいる。
このブログでは、大学教授以外はすべて仇名を付けて呼んでいるので、その先生を「お東先生」と呼ぶことにする。
その心は、易行の念仏と言えば浄土真宗で、本願寺派と大谷派に分かれていて、それぞれお西、お東と呼ばれている。
ちょうどその先生の名前が、お東と大谷派を合わせたような名前なのだ。
易行の念仏のようなセミナー1回の受講で、極楽浄土に往生した感があるので、まさにふさわしいと感じた。
何か、歎異抄を書いた唯円に匹敵するように深く理解されていて、本当に感服した。

それにしても、ラッパ上人の悟りを念仏することは、ものすごいご利益がある。
私も、日々念仏している。なまんだぶ なまんだぶ。
親鸞は、私は僧にあらず、法然上人から聞いたことをそのまま言っているだけの愚禿親鸞である、と言っていた。
我らの上人は、その謙虚さも、風貌も・・・親鸞聖人並みだ。ありがたやありがたや、なまんだぶなまんだぶ。
もう、直前に迫っているが、この前、定員までまだ1~2名余裕があるように聞いた。
暇がある方は今からでも申し込んで、ラッパ上人のありがたい法話を聞きに行ったらどうだろうか?
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ラッパ亭語録 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/08/20 14:38

ラッパ亭語録

「ラッパ亭語録」とは、ずいぶん変なカテゴリだと思うでしょう。
ラッパの先生は、もう何年も前からメールで今日発見したことを仲間に教えてくれるんです。
それが、独特の語り口で、一生懸命僕たちに情熱的に語るんですけど、必ず「いや僕の発見したことなんて大したことないに違いないよ。きっと、誰でも知ってるんじゃないか?」とか打ち消すんですよ。
結局、印象がなんかうやむやになってしまって、大した発見じゃないような気がしてくるから不思議なんだ。

北海道の先生にもそんな感じの先生が居て、しゃべる先から自分で打ち消してしまって、挙句の果てに「あんたの話は訳が分からないとよく言われるんだ」と、自分で落ちを付けるありさまなんだよ。
その先生は、アマチュアバンドだけれど、相当凝り性のジャズマンだった。
なんか、ジャズマンは、つい習性で心も スウィング してしまうような気がする。

しかし、彼のメールでの講義は、必ず患者さんとのやり取りや、発見の感動や、慎ましい人柄ゆえの反省などのエピソードを伴っていて、学術書や論文とは違うライブ感が堪らない。
それで僕は、論語や毛沢東語録みたいな、ポケットに入れて持ち歩けるようなサイズのエピソード入りの咀嚼講義書を出したらと、5年も前から勧めていたんだ。

ちょっと、その語り口をご覧に入れる。
この前の、感動したセミナーのチラシのコピー。

ラッパ亭

見ていただくと分かるように、自己否定や過剰な謙遜が去年の途中ぐらいから無くなってきた。
10年を超える厳しい修行の果てに、完璧な自信が出来たように感じた。
それが、この前のセミナーを北海道の研究会で企画した動機でした。

はったりが微塵もない100%の確信の講義を、みなさんもぜひ、これから開催するセミナーでお聞きください。
ラッパ亭語録 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/29 21:30

演奏家

ラッパの先生は、咀嚼運動研究のための理想的な顎口腔系を持つ天才だった。
その上、毎日せっせとMDAという咀嚼することが出来るスプリントを50個以上も作って10年以上も研究した。
天才とは、努力することが出来る才能だ。という言葉がある。まさに、その通りだ。

イチローが、ストレッチや筋トレなどの体の手入れを1日も欠かさず行うというのは有名な話だ。
ラッパの先生も、とにかく倦むことなくMDAを作り、それで食べてみて、調節することを繰り返している。
どうして、これほど飽きずに努力することが出来るのだろうか?
それは、楽しいからに違いない。
楽しくなければ、ある程度の腕になったらそれで満足して新しい別のことを始めるだろう。
歯医者の勉強は、大概そのような感じだと思う。
最初からなんでも出来る歯医者が居るはずも無く、大概は、勉強して一つ一つ苦手を克服していく。
その腕を磨く勉強が、どの程度で満足してしまうのか。それで、腕が決まると言っても過言ではないだろう。
すぐ満足してしまうようでは、とても名人には成れない。
ラッパの先生は、この研究だけそのような姿勢で頑張ったわけではないのでしょう。徹底的に追及するタイプなのでしょう。

僕が、彼に「ラッパ亭」とあだ名を付けたのはトランペットの演奏家で、昔プロのバンドマンだったそうだからだ。
僕は、ラッパの先生が飽きずに努力するのは、この演奏家の資質によるものだと思う。
とにかく、ミュージシャンは、アマプロ問わず練習が大好きだ。
暇さえあれば、おさらいをしている。上手く弾けないところを、何度も何度も繰り返している。それが楽しいわけだ。
そういう人は、演奏することそのものが、何よりの楽しみという顔をしている。

それに、演奏家には、もう一つ特徴があるように感じる。
正直で謙虚な人が多いように思う。
芸術は大きく分けて、文学、美術、音楽とあるが、この順にやる人の生意気→謙虚の性格の特徴があるように感じる。
文学や美術は、模写ばかりしている人など居ない。オリジナルなものを作らないと存在意義が無い。
音楽は、楽譜だけじゃ意味がないので、演奏家という者がいる。演奏家というのは、大変特殊な存在だ。
音楽家も、自分で作るようなら性格は他と似たようなものだ。ロックミュージシャンなどは、だいたい生意気だ。

僕が音楽がからっきしダメだからそう思うのかもしれないが、演奏家は自惚れることが無いのではないか?
楽器を演奏することが楽しくて、もっと上手くなりたいと思う。
そして、自分が演奏した同じ曲を他の演奏家がどう演奏したのか聞けば明確に分かるわけで、素人とは違い上には上があることを自覚しているし、レベルの差も明確に分かるはずだ。
ラッパの先生の飽くことのない努力と謙虚な人柄は、プロの演奏家だったことと無関係ではないと思うんだよ。
きっとそうだよ。
ラッパ亭語録 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/24 00:00

ラッパの先生の資質

お盆が済んでさて、ラッパの先生の続き。

ラッパの先生は大変な発見をした訳だが、ローマは1日にして成らず。10年を越える努力の賜物だ。
そして、イチローの大記録のように才能と努力と人格をあわせ持つ者でなければ、長期間の努力を必要とする素晴らしい成果は得られないわけだ。
この成功の3要素について考察してみたい。

まず、絶対条件がある。
それは、才能だ。どれほど努力を重ね人格を磨いても誰もがイチローになれるわけではないように、ラッパの先生には人並外れた才能があった。
素晴らしい理想的な歯列・咬合と、ほぼ百点満点の理想的な咀嚼運動を有していた。
シロナソを取って見ると、理想的な咀嚼運動をしている患者などほぼ皆無だ。
相当良い歯列の人でも案外駄目なもので、咀嚼運動の良否はマクロ構造とともに、ほんとに細部の細部で決まるところがある。
咀嚼運動調整の研究をするためには、計測機器としての顎口腔系が、観音像かビーナスのようでなければ、必ずデータにドライブがかかってしまう。
僕のところのシロナソできれいなループの患者は皆無で、僕がその中では一番良かった。
でも、左咀嚼が少しひしゃげた形をしている。左の67に少し干渉があるのだ。
それに、歯の欠損もある。これでは、厳密な研究の計測機器としては使えない。
他の、シロナソを持っている仲間のループはもっとダメだ。
仲間のどこのシロナソでも、ラッパの先生のようなループの患者は見たことが無いというのだから、千人に一人どころか、とんでもない天才的な計測機器としての口腔を持っていたことになる。
もう一つ、優れた資質がある。それは、肩こりなどの体の症状の感受性が鋭敏なことだ。
女の人はそれらの症状に敏感だが、男は大概鈍い。腰が痛くなって初めて分かるぐらいが普通だ。
ラッパの先生は、特に敏感なタイプの女性並みの感受性を持っているようだ。

つまり、完璧な口腔と体の鋭敏な感受性という、計測機器としての必要な2つの十分条件を備えていた。
しかし、このような天才を有していても、ただ幸せに美味しくご飯を食べていただけでは意味がない。
イチローだって、野球をしなかったらただの人で終わったかもしれない。
ラッパの先生が、自分の天才を自覚していたのかどうかは分からないが、咀嚼運動の研究に没頭してくれたことは、まことにありがたいことだった。
これは、まさに奇跡的な幸運と言うべきだろう。
ラッパ亭語録 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/18 11:21

ラッパの和尚さんの修行

ラッパの和尚さんは、自分の歯の上に載せる総入れ歯MDAを50個以上作って修行した。
この総入れ歯は、普通の入れ歯のように既成の人工歯を並べるわけではない。
人工歯を使うなら、まあ、それほど根気がいるわけでもないだろう。
そうではなくて、歯に止まるように留金の付いたベースの上に、筆でプラスチックを盛り上げて下の歯と咬ませて下の歯の咬合面を印記してから、そのプラスチックを1本1本の歯の形に彫刻していって、上の歯14本分を作るわけだ。
それを50個以上作ったわけだから、まあ、仏像を50体彫り上げたようなものだ。
最初は、ノミで粗削りしていって、次第に細部を細かく表し、最後にツルツルに磨いて仕上げる。
仏師がそのようにして50体も無心で仏像を彫り上げたなら、観無量寿経の観仏修行を極めたようなもので、必ずや仏が乗り移って仏そのものになるだろう。
ラッパの和尚さんも、歯の心が乗り移って、このような形の歯でありたいという理想の形態が手に染み込んだようだ。
まあ、技工士はそれを毎日何十年としているわけで、技工士こそ観仏修行をしているともいえる。
ただ、2点だけが違っていて、そこが悟りの中核をなしている。

自分の口に入れて、実際に食物を食べてみる。そして、シロナソグラフで自分の食べ心地とME機器のデータを比較して厳密な検証作業を繰り返したということだ。
これによって、観仏修行の結果成仏するばかりでなく、そこに法則を見つけたわけだ。
それで、1宗の宗派を確立した。

宗派と呼ぶのは、あごろべえ教祖のスウィング教の1宗派だということだ。
スウィング現象の発見によって、顎位と顎運動に分離していた咬合が統一されて、単一原理となった。
だから、あごろべえ先生とラッパの先生は、別々のことを主張しているわけではなくて、大きなひとつの現象の別な面だと思えばいいだろう。
今までは、ラッパの和尚さんの厳しい修行をそのまま真似る上座の難行の宗派だったが、新しい大乗の宗派を起こしたことで、スウィング教の中で一番入りやすい易行の宗派になった。
これから入門する人は、あごろべえ教祖の後、まずこのラッパの和尚さんに実践を学ぶことをお薦めする。
顎位診断などの難易度の高いものを必要としないし、咬合器も必要ないようなので、すぐ実践できるはずだ。
ラッパ亭語録 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/05 00:00
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