英雄が誕生する喜び

一昨日は診療の合間に、それから昼休み、夜と、1日アベマTV で竜王戦6組決勝を見ていた。
今や、マスコミが対局のたびに殺到するようになった藤井聡太四段と近藤誠也五段の一戦。
近藤五段は藤井四段の一年前に19歳という若さでプロになり、昨年順位戦のC級2組を一期抜けし、王将戦リーグ入りもして羽生3冠に勝った期待の星。
藤井が出てくる前は、彼が羽生に代われるかもしれない若手のナンバーワンではないかと言われていた。
その実力者が、序盤のわずかな方針の乱れを見事な指しまわしで拡大されて、全くいい所が無く一方的に敗れた。
藤井聡太は、あまりにも強い。どれほど強いのか底が見えない。
奨励会の3段リーグでは、これも一期抜けしているが5敗しているわけだから、1年も経たないうちに急速に強くなっているのだろう。
中学生だから、一晩寝て起きたら、ぐんぐん伸びているということか。

彼の将棋は必ずと言っていいほど、華やかで鮮やかな決め手が出現するので、見ていて感動する。
プロ同士の対局で毎度そのような鮮やかな手を指せるということは、相当の実力の差が無いと出来ないことだから、もしかして、トーナメントを勝ち上がって今年のうちに棋界最高のタイトル竜王を取る可能性さえ誰も否定できない。
僕は、彼の将棋のほとんどを見てきている。目が離せない。

金太郎が生まれたというか、ジークフリートが誕生しようとしている。
英雄が誕生するところを見るというのは、なんとワクワクする、心が湧きたつ喜びなのか。
あらゆる神話が英雄譚であることを想起してしまう。
女優が出演を重ねるたびにきれいになって行くように、最初はただのゲームオタクの中学生にしか見えなかった少年が、昨日は顔一面にあったニキビも無くなって、いかにも聡明な青年に見える。

前日の水曜日に、スマホでカンニングしたと濡れ衣を着せられた三浦九段と将棋連盟との和解の会見があったが、三浦九段が、藤井聡太の出現で沸き立っているこの盛り上がりを、私の事件でいつまでも水を差したくないというようなことを言っていた。
棋士達にとっては巨大な壁になるであろう敵の出現なわけだが、やはり、英雄が現れる、ヒーローを見るという喜びは、心が湧きたつような明るい気持ちにさせるのでしょう。

次の対局は、来週の水曜日。いつもチェックしている。
将棋連盟モバイルというスマホアプリがあって、注目の対局はリアルタイムで指し手を見ることが出来る。
今年いっぱいは、彼の追っかけを続けることになるだろうな~
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あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/27 07:54

ピカソの色

田中英道先生は、この前紹介した本の中で、リベラリズムの先駆けは印象派だということを言っている。
びっくりする発想だけれど、美術史家ならではの視点で、思想と芸術はリンクしているということなのだ。
というよりも、デカンショやマルクスやサルトルばかりが思想ではなく、芸術の中に表現されているものが思想で、縄文土器の中に縄文人の思想を観るというわけだ。
美術は印象派からダメになったということをずーっと主張しているのだが、よく分からなかった。
現代美術は全部ダメだという意味が、この本を読んでやっと解ってきた。
全て、美の対極にあるマルクスの影響を受けているので価値が無いということなのかもしれない。
唯物論からは、美は生まれないということなのでしょう。
しかし、田中先生が否定する印象派は僕もさほど好まないが、先生が高く評価するルネサンスに関しては興味を持てない。
宗教と風土が違うからかな?歳を取ってきたら、仏像や日本画が好く見える。

僕は、ピカソとマチスとミロが好きだ。田中先生に言わせると美の破壊者らしい。
以前スペインに行ったときにミロ美術館に行って、ミロの絵に石垣のようなやけに具象的な表現が入っている絵が何枚もあって、今までミロの絵にそんな表現を見たことがなかったので帰りの車の中で市街地を眺めていると、古い建築の壁や塀に似たような崩れかけた石垣があった。
あらら、これらを書いたのかしら?と思って街をよく観察していると、旧市街から新市街に入ってガラッと変わった街並みを見ているうちにハッと気が付いたことがある。
これはピカソの色だ!と気が付いた。
僕はピカソの晩年の絵が大好きで、その色調はグレーやピンクやベージュが主で、みんな白の絵の具を混ぜた濁った汚い色の組み合わせなのに、クールで現代的なシャープな美しさなのが不思議だった。
その新市街の飾り気のないモルタルに塗られた壁の安手なペンキの色が、晩年のピカソの色調とそっくりだった。
日本でもモルタルに塗ってあるペンキの色はほとんど同じ、いかにも安手だが当たり障りが無い色というか?
なるほど、このような色の組み合わせは普段から見慣れているんだ、ということに気が付いた。
そして、現代的でクールに感じるのも、現代の人工的な色調だからなのでしょう。

何年か前の印象的な発見だったけれど、現代の街並みの世界共通のつまらなさと、リベラリズムの平板さとの関係で思い出した。
やはり、ピカソが美しく見えるのは、僕が自分の意に反してリベラルな現代人だからなのでしょう。


あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/19 19:08

アラ団塊の悔い

平成が終わろうとしている。
今上天皇は最上の品格を備えた方で、美智子皇后は百人一首に選ばれてもいいほどの大歌人だ。
しかし、我が国はその間に中国に抜かれ、韓国・北朝鮮に侮られるような低迷ぶりだった。
昭和の時代の高度成長は戦争を戦った世代が管理職だったからで、平成の低迷は団塊の世代が上に立ったからだと言われている。
結婚出来ない若者が増え少子化が進んでいるのも、昔は大勢いた何組まとめたということを自慢する、お見合いを世話することを生きがいにしていた親切な仲人おばさんが消滅したからに違いない。
日本人が、急にイタリア人のように手当たり次第に女を口説けるようになるはずもない。
親切なおばさんに代わって口うるさいヒステリーばかりが増えた。
団塊の世代以降のそれなりの立場にいるものが男も女も揃ってダメになって、やらなければいけないことを放棄したからなのでしょう。
若い人たちに申し訳ないことをしたように思う。

どうして僕たちはダメなんだろうか?と、いろいろと考えて、大学紛争とかゲバ棒とかシンナーとかが流行ったり、若い時もろくなことをしていなかったのだから、地位が上がって急に立派になるわけもなく、世代そのものがダメだったと思う。
だいたい、ビートルズは行儀が悪かった。急に行儀が悪くなった世代だったと反省しているこの頃だ。

この前書店で偶然、それらすべての理由を完璧に説明してくれた本に出合って、目からうろこが落ちた。
あまりにも素晴らしい本なので、皆さんに紹介したい。ぜひ、読んでいただきたい。
ついこの前亡くなった渡辺昇一先生と並び立つ巨人、田中英道先生の新著です。
奥付には、5月5日とある。買ったのが7日だから出たばかり。

   書籍


片山さん。ぜひ読んでください。椋ちゃんは、そうだそうだと言うはずだ。

リベラル大嫌いの自分が、十分リベラルだったことを思い知らされた。
今の若者は、僕らよりずっと行儀がよく立派だから、この本を指針にして、我が国を建て直してもらいたいと思う。



あれやこれや | コメント(0) | トラックバック(0) | 2017/05/12 11:01

一年がかりの入れ歯

この前、一年がかりの入れ歯が完成した。
一年がかりといっても、たいそうこったわけでもなく難症例でもない。
その患者さんがポツリポツリと、忘れたころにしか来院しないので1年も掛かったというわけだ。

 私ね、孫のお世話で忙しいのよ。

と言う。
たいそう陽気な患者さんで、息子の孫や嫁に行った娘の孫の世話で飛びまわっているようだ。
立派なおばあちゃんだ。おばあちゃんの鑑だ。

総入れ歯の場合は、どれほど間を置いても最後に咬座印象をして仕上げれば問題ないので、いいよいいよ暇が出来たらおいでと言っていたら1年も掛かった。
元々旧義歯もさほど問題なかったのだが、リベースして汚くなったので作り替えたいということだったので、無調整でピッタリだった。
ただ、下あごの骨がたいそう減っているので、分厚いブロックのような総入れ歯だが。

渡部

入れたっきり来なかったが一か月後に来院して、何でもなくガチッとよく咬めるんだけど、おしゃべりしているうちに急に下の入れ歯が飛び出してくることがあるのよ。と言う。
それに、なんとなく右の犬歯の辺りが高いような気がする。とも言う。

うちの技工所はエンデュラの人工歯を使うが、エンデュラは右下の4の形態が少し変で、そこが干渉する傾向がある。
今度もそうだった。
それに加えて、前下がりのスウィングの患者さんだったので、右上の4が左後ろへのスウィングで強く干渉したわけだ。
それに、下あごの骨が乏しく船底のようになっている顎堤だった。
それらが重なったのが、おしゃべりしているうちに不意に入れ歯が飛び出す原因だった。

触診してみると、入れたばかりの時にはこっていなかった左肩が少しこっている。
やはり、スウィング干渉が残っていると、比較的早期にほんの少しだが肩がこってくる。
このことに気が付かなかったのは、総義歯を入れて、調整終了して一か月後とかに患者さんが来院することがほとんど無いからだ。
来る理由がない。抜歯即時義歯の時ぐらいだが、その時は入れ歯が合わなくなっているから、肩こりは当然だ。
忙しくて入れたっきり1か月も来なかった患者さんだったから分かった。
入れたばかりの時のフットビューは後ろ重心が強かった。やはり、フットビューはしっかりとスウィング干渉を捉えている。
それがスウィング干渉を調整すると改善する。肩こりも取れる。
調整部位は黒く塗った処だ。これで、やっと治療のゴールなのだと思う。

それにしても、総入れ歯の患者さんにスウィング干渉部位をピッタリと指摘されたのには驚いた。
入れ歯とのくらし | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/04/25 04:31

フットビュー登場後の義歯臨床

モアイ像の頭位の観点から義歯臨床について、特に総義歯について述べてきた。
咬合採得は頭を起こすために常に一番後ろの顎位であること、しかし、その顎位は咬合高径に適応したものなので咬合高径を変化させたら苦労すること、それを怖がって低いままで入れ歯を入れたら、患者さんはうつむいた反省モードに入ってしまうことなどだ。
そして、適切な咬合高径で義歯を作ったならば、例えバイトがずれていて、あっちが痛いこっちが痛いと言われて恥をかきながらごちゃごちゃやった結果、やっと合ったものであっても首と肩のこりは解消している。
だから、首と肩の触診をして検証すること、患者さんにそれを自覚させて入れ歯の必要性、価値を教えることが大切なことなど。
そして、スウィング干渉は、義歯では粘膜によって緩和されるのでブリッジやインプラントに比べて安全であることも述べた。

しかし、これはフットビューというME機器が登場するまでの認識であった。
新しく義歯を入れたとき、痛くなく咬めるように調整出来たときは、ほぼ肩こりは解消している。
それが、またこってきたりするのは、スウィング干渉などによって入れ歯が揺すられて顎堤が吸収したり、人工歯が減ったり、残存歯に問題が起きたときであると思っていたが、どうも認識が甘かったようだ。
スウィング干渉が残っていたら、比較的早期にこりが出てくるのが分かった。粘膜の緩衝力は、万全ではなかった。
フットビューが登場する前に、そのような現象が見られたときどのように考えていたかというと、頸椎やその他に器質的な障害にまで及んでしまったので、咬合だけではすでに解決できない領域に入っているのだろうと思った。
しかし、フットビューは、その干渉を最初から捉えていたことがはっきりと分かった。

フットビューによって、義歯の咬合調整のゴールが明確になった。
出来るだけ重心が真ん中になるまで咬合調整とスウィング干渉の調整をしなければいけない。
特に総義歯においては、やろうと思えばほぼ全てを真ん中重心に定めることが出来る。

昨年、フットビューについて話せと演題を与えられて、仕方なく沢山フットビューのデータを調べてみた。
そして、僕が一番頼りにしていた診査法である首と肩の触診が、補綴物装着直後のスウィング干渉を捉えることが出来ないことが分かった。
補綴物を入れたばかりの時は頭もあごもまだスウィングしてない。
だから、干渉によるマイクロトラウマが蓄積していないので、触診に現れてこない。
それが、雨だれのように当たり続けて、だんだん応えてきてこりになってくるのだろう。
しかし、体は平衡を阻害しているその干渉を感知して、すぐに回避行動を始めるのでフットビューの重心データに現れるのだろう。
それほど平衡を取ることは大切で、その調節機構は極めて精妙だということだ。
入れ歯とのくらし | コメント(1) | トラックバック(0) | 2017/04/19 00:28
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